小学児童がコロナウイルスに感染した時のタイムライン

うちの子が罹ったわけではないですが、小学児童がコロナウイルスに感染した場合の小学校・学童・役所の対応タイムラインです。

当記事の内容は、あくまでコロナ禍における小学生児童を持つ親や関係者など、どのような状況となるかを参考にとしていただくための資料です。
一般社会的な反応を求めたり、対応の是非や妥当性についての判断・議論・批評したりすることを目的とはしていません。

当記事については、一部を誇張したりするような偏向的な意見や記事との連動を防ぐため、URLリンクによる引用のみを許可し、部分引用・全体を含めた転載のすべてを禁止とします。
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学校組織・児童生徒・職員などにおけるコロナウイルス発生時の対応については、国家行政(関連省庁)などから各種指針や通達は行われているものの、実際の対応は、それぞれの自治体や、その中の組織に委ねられてます。
また各地域社会における各種事情(いわゆる土着の人間関係、社会的、政治的理由など)によって、対応や判断も大きく異なる点もあると思います。
また各自治体の対応の「差」を論じることが、この記事の目的ではありません。

コロナ禍における対応については、一律であるべき点を前提とした記事や論調が多々あります。
しかしながら現時点においては、各自・各所の状況に応じて模索すること(ガイドラインに沿って、現場に応じた対応を整える)が「本来あるべき姿」であり、良き点は取り入れる、協調・協力すべき事柄だと思います。

その点を踏まえ、当記事が一助になればと思い、記したものになります。

当該児、土曜までの状況

月曜 発熱欠席
火曜 解熱により登校
水曜 再発熱欠席
木曜 
金曜 PCR検査実施
土曜 検査結果陽性

小学校・学童・役所等の対応

土曜

学校、第1報

メールにて一斉連絡。
月曜および火曜は消毒のため、学校臨時休業。
児童の健康観察について注視の要請。
感染者等へのプライバシー・差別やSNS等への掲載などの注意啓発

学童、第1報

メールにて一斉連絡。
月曜について当該児童については、受け入れ不可。

日曜

学校、第2報

濃厚接触者が判明するまで間、児童の外出自粛要請。

月曜(学校:臨時休業、学童:当該校児童の受入れ停止)

学校、第3報

メールにて一斉連絡。
担任⇒電話による健康観察実施。(全児童)

学校、第4報

メールにて一斉連絡。
濃厚接触者については別途連絡済。
それ以外の児童については、濃厚接触者に非該当。
これにより非該当学童については、火曜より受入れ再開。
感染者等へのプライバシー・差別やSNS等への掲載などの注意啓発

役所、第1報

Webによる告知。
小学校児童のウイルス感染判明までの経緯説明。
濃厚接触者について、27日まで自宅待機・保健所による健康観察実施。
当該小学校についての臨時休業。
当該小学校保護者について対応周知済。

火曜(学校:臨時休業、学童:受け入れ再開)

学校、第4報

メールにて一斉連絡。
学校再開に関する連絡
感染者等へのプライバシー・差別やSNS等への掲載などの注意啓発

水曜(学校:再開、学童:通常)

通常授業。
児童への感染者等へのプライバシー・差別やSNS等への掲載などの注意など啓発指導。

木曜(学校:通常、学童:通常)

役所、第2報

Webによる告知。
濃厚接触者について、PCR結果陰性。

以上で終息。

個人的な感想

結論からすると、一般社会的にも妥当かつ現実的な対応だと思います。

「2日で学校再開するなんて、ありえない!」とか言う敏感な方もいるとは思いますが、でもこれが会社で発生したとしたら、何日も会社を臨時休業させるのが現実的でないのと同じように、小学生とはいえ、何日も学校を休ませるのは現実的ではありません。
親も仕事があるでしょうし、学校にだって行事や教育計画があります。健康面のいけるリスクもありますが、家族や個人の影響があまりに大きいのです。

社会活動の停滞は、現在の人間社会において、重大な支障となり得てしまいます。
そしてその後遺症は、不景気とか社会不安という形で、より中長期な影響を及ぼしかねません。

みんな、春先の大規模な休業を経験し、それに対する多大な影響を知りました。
確かに「新しいライフスタイル」を考えるための良い機会・経験にはなったと思いますが、すべての人が「春先の状況を再び受け入れることはできるわけではない」ということも理解する必要があります。
だから社会の大部分の方々は(盲目的な人も一定数いるとは思いますが)折り合いをつけて、仕事や学業に努めることを再開しているのではないかと思います。

正直なところ、明確な「解」を出すことは、現時点ではできません。
状況は未だ流動的であり、これが正しい行動かどうかなんて、誰にも判断できません。

でも、この行動が今のところ「正しい」と思って、日々の生活を受け入れていくしかない、現実を受け入れることが社会全体の安寧に繋がると、今は信じるしかありません。

幸いな事に、現時点での日本は、日々感染者は発生しているものの、大規模な社会不安に至るような状況にはなってませんし、これは国民性なのかも知れませんが、現実を受け入れ(または無視して)、日々の社会活動を行っている状況であると思います。

そういった点では、子供に対しては保護者や先生など、周囲の大人が健康観察をしっかりと実施し、出欠を判断するべきでしょうし、大人は社会の一因として、自身の健康管理を怠慢なく行い、社会に配慮しつつ、自身の生活を送ることが、今は大切なのだと思います。

幸いなことに、日本人はマスクに対して抵抗感が少ないこともあってか、または気候的影響(春夏の比較的湿度の高い時期)や生活変化も相まってか、都市部などの混雑は以前と然程変わらないものの、今春に発生したような大規模な感染は発生してません。

でも、これから乾燥する冬期に向かって、夏場に比べると風邪をひくリスクは高くなると思います。
これからの季節下でも感染者が増えなければ、国家レベルの大規模な規制を実施しなくても、いよいよ日本のマスク社会と自粛に対する国民性だけで、コロナ禍を乗り越えられるという状況が証明されることになりますが、さてさてどうなるでしょうか。

いわゆる「お受験」を断念した理由

この記事は、色々と表現しにくいので、あえて「です・ます」調にしました。

私の子は0歳から保育園に入園したのですが、その際、登降園ルート上に某有名私立小学校前がありまして。

当時は自分も「この私立に通わせたいなぁ」と漠然と思っていたのですが、そのルートを6年間見続けてきた結果、いわゆる「お受験」は断念しました。
その理由を記事にしてみました。

あくまで一方的で個人的かつ否定的な見解です。
記事上にある校風や入学児童の集め方について、疑問を抱かない方々がいるのも事実だと思いますし、考え方は「人それぞれ」だと思います。
その方々の考え方について、受け容れることはできかねますが、否定はしません。

どこの私立も、こうではないと思います。
でも、わりと「こんな感じ」で人を集めている(特に伝統的な校風をもつ)私立の小学校は多いような気がします。
この点、学校当事者の方々からしてみれば、否定される方もいるとは思いますが、少なくとも私自身には、表面的にみただけでなく、集めた情報や知識を持ってしても、結果的に「そうなっている」「そう見えていまっている」というだけの話です。

小学校の「お受験」は「保護者も含めてお受験」

「お受験」のために私立小学校に向かう保護者の姿

習い事とか面接の練習とか、そう言った話ではなく。

入学説明会、受験当日、合格発表と、それぞれの場面で、スーツ姿の保護者(入学希望のお子様)を眺めてきました。

最初は「そんなもんかなぁ」と漠然に思っていただけなのだが、その光景を6年間の間、何度か見てきて「違和感」を感じたのです。

そう「あ、この学校は、そういう人達を集める学校なんだ」と。

重要なのは「親の面接」

その中で出てくるのは、親も含めた「面接」です。
子供の勉強よりも、むしろこの「面接」のほうを重要視していると見てよいのではないかと。

子供は「できて当たり前」で判断

おそらく子供の勉強や理解度、成長などの見極めは、小学校の受け容れる側からしてみれば「最低ライン」なんだと思います。
受け容れる子供については、おそらく「できて当たり前」が前提なんです。

もちろん子供の個性や苦手なことがあっても、仕方ありません。それは学校だって尊重するでしょうし、何よりも、これから成長の「伸びしろ」がある子供に対して、高い要求を求めているわけではないのです。

ただし、それはあくまで建前です。現実的には、高い競争率の中に残らなくてはなりません。
そうすると、原理的に「できて当たり前」が前提なってしまうという結論が、最も自然だと思います。
この原理を逸脱していることは、絶対にないと思います。

そう考えると、この時点での「子供の個性」なんて、上記の原理を考えると、極めて些細な話ではないかと。

もちろん成長の過程で「子供の個性や性格」は人間として重要や要素です。
でも原理が優先されているのが現実、それが「お受験」なんです。

そうなると、現実的な「ふるい」のポイントは「親」という事になります。

もちろん親の仕事内容や一般的な考え方は判断材料になるでしょう。そしてこれも「当たり前」のラインです。

そしてここが、ポイントだと思います。

親が小学校の運営を理解し、かつ協力できるか

保護者にも小学校教育に対し支援・協力は求められます。子供のために学校に尽くす必要が「当たり前に」あるのです。

もちろん「寄付」という、金銭的な支援も求められると思います。

それ以外にも、具体的には保護者としての活動が求められると思います。それに協力できますか?

例えば、私立小学校の近隣住民であれば、朝の通学時間帯に駅前や登校ルートに、PTAとして防犯・交通協力の当番を請け負ったり、とか。

学校行事だって、盛り上げるために積極的に親が関わる必要がでてきます。しかも親同士それぞれで尊重しながら

それが可能かを、面接の過程で見極めているのです。

親⇒子への協力・支援

また学校教育についていけるよう、保護者が協力する場面も、公立小学校に通う子供以上に必要になります。

塾に丸投げなんかできません。見栄とかそういう表面的な話ではなく、子供がちゃんと小学校の教育についていけるか、そして進学系の中学校に向けての見極めとして、親も逐一、勉強を観てあげる必要が出てくるはずです。

こんな感じで6年間を過ごしていかなくてはなりません。
その「覚悟」が必要なんです。

「抽選」はブラフ

上記までの試験や面接の課程をクリアした時点で、選考に残った子供は、もはやその中の誰が入学しても、問題ありません。

でも、まだその時点でも定員を超過している状態のため、最後に「抽選」が行われます。

この「抽選」が小学校入学選考の「公正性公平性」をアピールするための最後の「仕上げ」なんです。

だってここで選考で漏れたとしても「抽選で落ちたんだから仕方ない」で済むし、抽選という「公正な判断」に対して、クレームを入れるのは、甚だ難しいです。

選考から漏れた子供や親が全員納得するかは、判りません。
でも、ある程度の人は、これで納得するでしょうし、対外的にも公正に見えるのです。(実際公正なのですし。)

この一連の流れを考え、自分に当てはめて、シミュレーションした結果

なぜか「滑稽」に感じてしまったのです。

真剣かつ一生懸命に「お受験」される方々には不快に感じるかもしれませんが、自分の最も引っ掛かったのは、この「滑稽さ」なんです。

個人的には、この「お受験」に付き合う自信は当時ありました。
でも情報や資料を集めたり、実際の光景を日々見つめてきた結果、いつのまにか、その熱意はどうでもよくなってしまいました。

もちろん、私立は素晴らしいと思う

整った設備と、プロフェッショナルな教員、伝統や積み重ねによって組み立てられたカリキュラムや行事など、それはそれは素晴らしい学校教育が施されるはずです。

でもシミュレーションした結果、そこに「はめ込まれる」自分の子供の姿、そして親である自分の姿が、想像できませんでした。

私立小学校ではなく、公立小学校で学び、時には悩み、そして成長する姿、こちらのほうが遙かに想像しやすいです。

自分はそちらを選ぶ事にしました。
これはただ、それだけの話なのかも知れません。

【余談】お金はかかります

教育費そのものは恐ろしく高くはないと思います。
教科書代なども文科省基準などがあり、逸脱していないと思います。

でも「学校運営費」という名目の費用が発生します。
場合によっては「寄付金」も求められるでしょう。

それに教材費・旅費・被服費(制服代)、私立ならではの費用がかかると思います。

もしかしたら、これからのIT時代を見据え、ノートパソコン代がかかるかも知れません。

こんな学校社会も教育者達も腐ってる

  • 山形女子高生自殺:遺族が遺書公表 いじめ再調査を要請(毎日新聞

このような自殺事件の多くで「いじめはなかった」とされる学校や教育委員会の報告があるが、彼らは何をもって「いじめ」としているのかが、甚だ疑問に落ちる事がよくある。

まぁ、物事や知識を教えるという面では、日本の教育は優れているのかも知れないが、生徒の心や精神を養う・育む場としては、日本の学校の殆どは及第点に届いていないと思う。

もちろん、その原因には子供の社会の変化や地域性なども多分にあると思うが、それを察知できない先生や親・大人の社会、それを結果的な察知できない・関知できないようになっている教育システム・組織となってしまっているのが、最も腐っている部分だ思う。

それに「遺書は根拠の見えないもの」とした校長のコメントも、明らかにおかしい。彼らからしてみれば、自殺した一人の生徒よりも生きている生徒のほうが大事なのかもしれないと勘ぐってしまう。
でもまぁそうじゃないでしょ、両方を大切にすべきであって、そのためには生徒も遺族も同じバランスで捉えなくてはならないはず。
そんな中で、この校長のコメントはあまりにも遺族への配慮が足らないコメントであると私は思う。まぁ、校長のコメントなのか、背後にいる教育委員会のコメントなのかは、よくわからないけど。

ふと思った事。

あまり、大口叩けるような立場ではありませんが。。。

最近「未熟な親」の行動が非常によく目につきます。
未熟な親の子供は、哀れでなりません。

育てられないなら、産まないほうが幸せだと思います。
生まれた子供がかわいそう。
だって、子供は親を選べるわけではありませんから。

親には子供を「養う」という、絶対に放棄してはならない責任があります。
また「正しい躾」を行う責任もあります。
それができない親は、親として「失格」です。

社会は過酷な環境です。そんな中で子供を産むことの責任。
よく考えるべきかと。

子供達から「希望の光」を見ました

  • “居残り学習”が人気/向陽高校、図書館や多目的教室を開放(琉球新報)(記事削除)

ちなみに、私の高校にも自習室がありました。でも、あくまで個人でする自習がメインだったので、私は他校の友人と一緒に県立図書館で勉強していました。

私自身、日本の教育施策については問題があると思っているので、このように子供達が、自分の事や学校でできることを考えて、それらを実現していくような姿を見ると「がんばれ」と思うことしきり。

そもそも日本の教育を駄目にしたのは、日本人の教育に対する間違った考え(エゴ)であり、それを何年経っても見直さなかったことにあると、私は思っています。
そんな中に、この沖縄の記事は光明を指し示していると思います。でも、他校の方々がそれを視察しているようですが、これについて私は懐疑的です。
私は向陽高校の記事を見つけた他校の生徒が「私たちにもこの学校のような場所を作ってください。」と、ぜひ先生に示してもらいたいと思っています。
もしくは、先生と生徒が話し合いながら、学校という「場」を変えていただければと思います。

それくらいの意気込みが生徒にもなければ駄目だと私は思います。