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  • いわゆる「お受験」を断念した理由

    この記事は、色々と表現しにくいので、あえて「です・ます」調にしました。

    私の子は0歳から保育園に入園したのですが、その際、登降園ルート上に某有名私立小学校前がありまして。

    当時は自分も「この私立に通わせたいなぁ」と漠然と思っていたのですが、そのルートを6年間見続けてきた結果、いわゆる「お受験」は断念しました。
    その理由を記事にしてみました。

    あくまで一方的で個人的かつ否定的な見解です。
    記事上にある校風や入学児童の集め方について、疑問を抱かない方々がいるのも事実だと思いますし、考え方は「人それぞれ」だと思います。
    その方々の考え方について、受け容れることはできかねますが、否定はしません。

    どこの私立も、こうではないと思います。
    でも、わりと「こんな感じ」で人を集めている(特に伝統的な校風をもつ)私立の小学校は多いような気がします。
    この点、学校当事者の方々からしてみれば、否定される方もいるとは思いますが、少なくとも私自身には、表面的にみただけでなく、集めた情報や知識を持ってしても、結果的に「そうなっている」「そう見えていまっている」というだけの話です。

    小学校の「お受験」は「保護者も含めてお受験」

    「お受験」のために私立小学校に向かう保護者の姿

    習い事とか面接の練習とか、そう言った話ではなく。

    入学説明会、受験当日、合格発表と、それぞれの場面で、スーツ姿の保護者(入学希望のお子様)を眺めてきました。

    最初は「そんなもんかなぁ」と漠然に思っていただけなのだが、その光景を6年間の間、何度か見てきて「違和感」を感じたのです。

    そう「あ、この学校は、そういう人達を集める学校なんだ」と。

    重要なのは「親の面接」

    その中で出てくるのは、親も含めた「面接」です。
    子供の勉強よりも、むしろこの「面接」のほうを重要視していると見てよいのではないかと。

    子供は「できて当たり前」で判断

    おそらく子供の勉強や理解度、成長などの見極めは、小学校の受け容れる側からしてみれば「最低ライン」なんだと思います。
    受け容れる子供については、おそらく「できて当たり前」が前提なんです。

    もちろん子供の個性や苦手なことがあっても、仕方ありません。それは学校だって尊重するでしょうし、何よりも、これから成長の「伸びしろ」がある子供に対して、高い要求を求めているわけではないのです。

    ただし、それはあくまで建前です。現実的には、高い競争率の中に残らなくてはなりません。
    そうすると、原理的に「できて当たり前」が前提なってしまうという結論が、最も自然だと思います。
    この原理を逸脱していることは、絶対にないと思います。

    そう考えると、この時点での「子供の個性」なんて、上記の原理を考えると、極めて些細な話ではないかと。

    もちろん成長の過程で「子供の個性や性格」は人間として重要や要素です。
    でも原理が優先されているのが現実、それが「お受験」なんです。

    そうなると、現実的な「ふるい」のポイントは「親」という事になります。

    もちろん親の仕事内容や一般的な考え方は判断材料になるでしょう。そしてこれも「当たり前」のラインです。

    そしてここが、ポイントだと思います。

    親が小学校の運営を理解し、かつ協力できるか

    保護者にも小学校教育に対し支援・協力は求められます。子供のために学校に尽くす必要が「当たり前に」あるのです。

    もちろん「寄付」という、金銭的な支援も求められると思います。

    それ以外にも、具体的には保護者としての活動が求められると思います。それに協力できますか?

    例えば、私立小学校の近隣住民であれば、朝の通学時間帯に駅前や登校ルートに、PTAとして防犯・交通協力の当番を請け負ったり、とか。

    学校行事だって、盛り上げるために積極的に親が関わる必要がでてきます。しかも親同士それぞれで尊重しながら

    それが可能かを、面接の過程で見極めているのです。

    親⇒子への協力・支援

    また学校教育についていけるよう、保護者が協力する場面も、公立小学校に通う子供以上に必要になります。

    塾に丸投げなんかできません。見栄とかそういう表面的な話ではなく、子供がちゃんと小学校の教育についていけるか、そして進学系の中学校に向けての見極めとして、親も逐一、勉強を観てあげる必要が出てくるはずです。

    こんな感じで6年間を過ごしていかなくてはなりません。
    その「覚悟」が必要なんです。

    「抽選」はブラフ

    上記までの試験や面接の課程をクリアした時点で、選考に残った子供は、もはやその中の誰が入学しても、問題ありません。

    でも、まだその時点でも定員を超過している状態のため、最後に「抽選」が行われます。

    この「抽選」が小学校入学選考の「公正性公平性」をアピールするための最後の「仕上げ」なんです。

    だってここで選考で漏れたとしても「抽選で落ちたんだから仕方ない」で済むし、抽選という「公正な判断」に対して、クレームを入れるのは、甚だ難しいです。

    選考から漏れた子供や親が全員納得するかは、判りません。
    でも、ある程度の人は、これで納得するでしょうし、対外的にも公正に見えるのです。(実際公正なのですし。)

    この一連の流れを考え、自分に当てはめて、シミュレーションした結果

    なぜか「滑稽」に感じてしまったのです。

    真剣かつ一生懸命に「お受験」される方々には不快に感じるかもしれませんが、自分の最も引っ掛かったのは、この「滑稽さ」なんです。

    個人的には、この「お受験」に付き合う自信は当時ありました。
    でも情報や資料を集めたり、実際の光景を日々見つめてきた結果、いつのまにか、その熱意はどうでもよくなってしまいました。

    もちろん、私立は素晴らしいと思う

    整った設備と、プロフェッショナルな教員、伝統や積み重ねによって組み立てられたカリキュラムや行事など、それはそれは素晴らしい学校教育が施されるはずです。

    でもシミュレーションした結果、そこに「はめ込まれる」自分の子供の姿、そして親である自分の姿が、想像できませんでした。

    私立小学校ではなく、公立小学校で学び、時には悩み、そして成長する姿、こちらのほうが遙かに想像しやすいです。

    自分はそちらを選ぶ事にしました。
    これはただ、それだけの話なのかも知れません。

    【余談】お金はかかります

    教育費そのものは恐ろしく高くはないと思います。
    教科書代なども文科省基準などがあり、逸脱していないと思います。

    でも「学校運営費」という名目の費用が発生します。
    場合によっては「寄付金」も求められるでしょう。

    それに教材費・旅費・被服費(制服代)、私立ならではの費用がかかると思います。

    もしかしたら、これからのIT時代を見据え、ノートパソコン代がかかるかも知れません。