人の死の経験

自分はまだ実際に臨終の場に立ち会ったことはありませんが、人の死そのものには、わりと小さい頃から身近に感じてきました。

父方の祖父

自分が小学校低学年の頃に亡くなったのですが、この時が人の死に触れる最初だったと思います。
葬儀が始まるまでの間、自宅の寝室に安置されていました。
顔には白い布を被せられて、親類縁者が弔問に訪れる度に、布を取って声をかけていた記憶があります。
当然死んでるのですから、声をかけても動くわけはありません。このときは本家で葬儀が執り行われることになり、集落規模の大きな葬儀で、寺の総本山からも多くの僧侶が来たのを覚えています。

友達の近所の上級生

そして小学校高学年の頃になると、よく遊んでいた友達の近所で、たしか小児がんで亡くなった上級生の葬儀があり、こちらも自宅で執り行われたため、偶然友達の家で遊んでいた自分も、参列しました。
出棺の際、多くの上級生が泣いていました。

中学生に進級する頃

小学生の中盤何年かの間、近所のそろばん塾に通っていたのですが、そこで上級生の男の子がよくいじめられてました。

当時はなぜいじめられているのか、まったく知りませんでしたが、雪合戦のときには、上級生が雪玉の中に小石を入れて投げつたりしていました。
それ以外にもいじめられて泣いていたのを、何度か見かけた記憶があります。

そしてその子は、中学に進級ののち、自殺しました。

自分がその中学校に進級する、ほんの数ヶ月前の冬の出来事だった気がします。

当時、子どもの自殺は非常にセンセーショナルだったようで、田舎であったものの、全国ニュースで報道され、テレビでも学校が報道されました。

いじめが原因ではあったと思いますが、今でも理由はわかりません。
でもいじめていた人物の顔は、今でもはっきり覚えているし、その人物は自分が上京する時点でも、その集落に住んでいるのを記憶しています。

母方の祖父

自分が上京して数年後、母型の祖父が亡くなりました。
このとき人生初めて火葬場まで行き、荼毘に付される一部始終を経験しました。

ものの1時間前後で火葬は終わり、遺骨だけの状態になって火葬炉から出されます。
このときは、虚無感を感じた気がします。

友人の死

最近、上京後にできた友人が亡くなりました。
自分と同年代で妻子を残しての旅立ちでした。

死因は肝臓がんでしたが、当人が気付いた頃には既に手遅れでした。
もともとワーカホリックな面があったようで、本人の自覚の具合はさておき、ストレスも多かったと思います。
あと、それほど酒が強くないにも拘わらず、付き合いで酒を嗜む機会が多かったようです。
中年層において個人差はあるものの、健康に対するリスクを目の当たりにしました。

これ以外にも、過労死やメンタルが影響しての自殺など、気付けばリアルに顔を知った方々の何人もの人が、この世から去りました。

自分も遅かれ早かれ、死は向かえる事になります。
でもそれ以上に、他人の死は身近に遭遇することがあります。

だからこそ、死というものを、生きているうちに考えを巡らせることは、大事なことだと思ったりする今日この頃の出来事。