今回の都条例案については、反対です。
その理由は以下の通りです。
- 発案の過程、発案に関わった個人や組織の経歴・性格・背景、発言や議事録などを確認するかぎり、個人や組織の利己のみを追及しているものであります。
- 表現に対しての正当性・不当性双方からの意見集約や、公正な議論・判断が行われていません。
- 表現の自由を尊重している憲法や、その他の法令との関連性・適法性に対して、十分な議論がされていません。
- 昨今のメディアコンテンツ産業は、国を挙げての産業育成すべき産業と位置づけられています。
条例案はその方針に真っ向から対立するものです。
そして、この条例が制定されることにより、表現の萎縮、牽いては産業としての萎縮が懸念されるものです。 - 一度廃案になった条例案で、しかも憲法で保障されている表現の自由についての制限につながりかねない重大な内容です。
それにもかかわらず、時間がないこと、委員会実績などを理由に、十分な議論、公での議論、賛成反対を交えた公正な議論などが行われてません。 - 単に性表現を見たくない、見せたくない一部の成人が、性表現の社会的正当性を鑑みず、自らの策略や満足をもってしてのみ制定される条例には、まったく賛成できません。しかも、青少年を育成するための条例にもかかわらず、その名を冠して、このような表現を規制しかねない条例を、姑息に制定するという行為は、日本の国民性に汚点を残すものであります。
これは表現の自由という権利だけでなく、国民の尊厳をも傷つける行為でもあり、到底認められるべきものではありません。
そもそも「青少年育成条例」は、条例で規制を施す前に、あくまで青少年の育成のため、学校や社会組織、牽いては家庭における親・保護者が、子供のために正しい「しつけ」や「教育」を施すことが大前提であるべきです。
性教育や表現規制に対しても、それぞれの地域社会に応じた内容を検討し、そこで学校や家庭の教育として、正しく教えるべきです。
ところが、それらの努力や啓蒙を怠り、社会の多様化などいった適当な理由を付けて、学校問題や地域社会・家庭での摩擦など、実際の問題から目を逸らすことが常態となっています。
そして、性表現や暴力表現などを代わりの敵として定め、結果、公共の利益や社会の権利を曲解し、都合よく満足を得る、取り締まることができるようにした条例が、果たして青少年のため、都民のため、牽いては社会のためにはなりません。
よって、この条例には断固反対します。
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