とっても私的な話なので「下げ」進行で。
色々と生活を激変しました。てか、させました。
まぁ、そうなるためのファクターは色々ありました。
会社を辞めたとか、親父が倒れたとか、水戸の件やらなんやらでコミケスタッフをやる気がなくなって辞めたとか。
それで今はいわゆるIT業界のフリーエンジニアとして仕事しています。まぁ「サクセス」かどうかは判りませんが、フリーになって半年超えたので、ちょっとした総括をば。
昨年まで在籍していた会社が、いわゆるIT企業という名の派遣会社になって10年、段々と売上も落ちていた頃に、昨今の不景気で客先派遣の契約が客側の大規模予算カットによって終了。それと共に収入が大幅に下がり、ボーナスもでない有様。
まぁ、社内での私の位置づけとして会社そのものを背負う位になっていたんですが、さすがに10年以上もお外で働かされて、客先案件が取れなくなった今となって何とかしてくれと言われても。。。
しかも自分の収入を犠牲にした状態で、財務上健全とは言えない会社を背負うなんてリスクは正直負えない。15年弱働いてきた義理はあるものの、会社が将来が担保できない以上、まぁこの辺りが潮時かなぁという感じで辞めちまいました。
んでもって、客先常駐においては比較的評価は良かった(らしい)のと、まぁこの年でIT業界で技術職としてそれなりの給与で雇ってくれるような会社はおそらく存在しない。
それならば、どうせ厳しいならフリーでやってみるか、という事でフリーで再出発。
派遣会社経由の契約とかではなく、あくまで個人事業者として活動。エージェント会社を使って案件を探し、仕事を受注する形式となりました。
その結果、最初は慎重に動いていたために契約が決まるまでは長かったものの、契約後はその仕事での評価もあってか、予定以上の金額、そして更なる受注を得られたのは大きかった。
これによって、収入が劇的に改善した。
しかしながら問題もいくつか発生。一つは趣味の問題。それに連なって、時間配分。
というのも、フリーというのは、普通のサラリーマンよりもモチベーションを高く維持しなくてはならない。
まぁサラリーマンであってもモチベーションは高くあるべきだとは思うが、フリーの場合、正直「助け」とか「心の支え」とかいう物は、サラリーマンよりも極めて小さい。
それに正直「仕事」をこなすだけでは、成り立たない。例えば営業や情報収集、日々のスキルアップも自分でやっていかなくてはならない。
それを「負担」と見るか「充実」と見るかによって、フリーになれる・なれないの境目となる。
私の場合はとりあえず「充実」と捉えることができたのと、自分に残された方向性としてフリーを選らんだつもり。
そうした時に必要になるのが、フリーである自分に「入れ込む」事ができるかという事。
まぁ、私も30代になってしまい、色々なタスクを同時並行で進めることができるだけの能力は発揮できなくなってきたのと、もともと無理は嫌いな性分。
そんな中でどうも趣味に飽きつつあったコミケ関係は「充実」ではなく「負担」という位置づけになってしまっていた。
コミケや同人誌がが嫌いなわけではないのだが、将来コミケ関係で食っていける訳でもない。
そもそも趣味・創作に向けた活動は、人生を「充実」させるために存在すべきだと日頃から思っている。
創作される作品や同じ趣向を持つ者達には興味はあるが、それを橋渡しする組織は、組織としてあまりにも人間関係が薄弱であり、それでいて傲慢な部分も併せ持つという、とてもアンバランスな状態。
とはいえ、長年関わってくれば自ずと運営に対して責任や要求も高くなるし、頼ったり頼られたりという関係も多くなる。
そして、ふと思ったのは
「この組織は、この趣味は、私の人生を託すに値するのか」
という事。
純粋に趣味や余暇活動として考えても、「ビジネスチャンスが眠っている」と少し邪な考えてもってしても、今の答えは「No」。将来「Yes」になるかも知れないが、今は「No」。
まぁこんな事を書くと反感を持つ人がいるかも知れないが、収入が改善してしまった今の私にとっては、同人誌そのものは「とらのあな」などの専門書店に行けば買えるし、レア物でさえなければヤフオクで手に入れる事もできる。
その程度の物になってしまった。
とても残念で悲しい事を言っているのかもしれませんが、所詮同人誌とかコミケはそういう物。関わっていなくても死にはしませんし、私1人が抜けた程度で、何が起きるとも思えません。
組織を受け入れられなくなった、ただそれだけの「よくある話」です。
確かに切り捨てた部分はあって、そこに未練・後悔がないわけではありません。
でも、組織に余程の変化がない限り、戻ることはおそらく「ない」でしょう。
今の時代、いろんな事をやれば、それだけ満足は得られるかも知れない。
確かに老後を考えず、今を一生懸命に楽しむのも、一つの考え方だと思う。でも私には、その考えが受け入れられませんでした。
それは、両親の「老い」を見てしまったから。
父が大病を患いました。幸いな事に手術と医療技術の進歩のお陰で、今は普通の生活をしています。
母は父を看病してましたし、私も心配や必要な支援をしました。
その体験で思ったことがあります。それは、その姿を自分に置き換えてみたとき、果たして両親と同じレベルの老後、幸せな老後を迎えられるのかという点。
今までの状態ではとても無理だと思いました。これは親が老後を迎えて、それを目の当たりにしたとき、初めて考えた事です。
まぁ、うちの両親も別に裕福ではないので、今が幸せかはわかりません。特に父は最近大病を患いましたし。でも、それでも仲良く老後をすごしているのは、子供としては安心。
それを自分に置き換えて考えると、幸せな人生って、今だけではなく10年先、30年先、50年先を見据えなくてはなりません。
未だコミケ関係者に「なぜ」とか色々と言われるのですが、大体こんな話をすると、ほとんどの人は黙ってしまいます。
まぁ当然でしょうけど。ズルいかも知れませんが、これは私の中の事実ですので。
私という人間が一人である以上、できる事には限りあるわけで、タスクを整理し取捨選択しただけの事です。
後悔や未練はあります。でもそれよりも新たな展望や「やりがい」があるのは事実。
そんな中、やって見たのは「ちょっとだけ我慢する」そして「我慢した分だけ頑張る」という事。
自分のスキルとモチベーションを信じて、この先やってみようかと思う次第。