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難民の受け入れで思った事

  • 日本の難民受け入れ、課題は 過去には1200人を受け入れた年も(THE PAGE)(記事削除)

「難民をなぜ受け入れないのか」というよりは、「難民を受け入れたくない」というのが根底にあると思う。
だから嫌だという事ではないが、大いに不安はある。これは否定もしない。

民族独自のコミュニティができることへの不安・嫌悪感

どこの国でもそうだと思うのだが、言葉の違い、文化の違い、宗教の違いなどは、必ず障壁となってしまう。
そこから、相手に対する、不安や嫌悪感を増すのは、おそらく人間といいますか、いわゆる「縄張り意識」という、生物独特の特性じゃないかと思う。

それにこれは同じ日本人同士ですら、しかも、この現在のご時世であっても、都会であっても、自治会をはじめとする地域のコミュニティには、非常に高い敷居が存在する。
そこに外国人に至っては、相当なものであるはず。

交流が大切

民族独自の文化や考え方があるのは別に構わないと思う。
でもその土地の言葉や文化に対しても理解し、尊重しなくてはならない。
そしてこれには、かなり重点を置いて、為さなければならない。

それが出来ないから、不安や嫌悪感が生まれ、差別や衝突へと発展していく。

日本人なら「困った人はとにかく助ける」ということができるはず。
それが今では、大災害でもなければ、できなくなりつつある。
そこに強い危機感を覚える。

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「プレミアム商品券」施策は下品な施策。

  • なるほドリ:プレミアム商品券はお得なの? /和歌山(毎日新聞)(記事削除)

まぁ、国が地方創生目的で4000億もの税金をバラ撒いた結果が「これ」。

「おカミの『おこぼれ』に群がる卑しい人達」にも嫌気が刺すんだけどね。なんすかこれ?
前日早朝から並んで商品券買うとか、「清貧であれ」とは言わないし、日々の生活が厳しい人には垂涎のものかも知れないけれど、自分はとても恥かしくて、できない。

これが国が目指した施策の結果であり、国が地方に対してカネを急にバラ撒いた事による、地方の「応え」。

国「お金あげるから、これで地方創生考えて」

地方「こんなカネいきなり貰われても困る。」

誰かが、こう助言「プレミアム商品券でいいんじゃね?」←こいつが犯人

地方「そ れ だ !」

まぁ、多分こんな感じではないかと。

麻生が2009年に国民全員にカネをばら撒いた「定額給付金」制度と同じ。
ただ「現金」が「金券」に代わり、責任が「国」から「地方」に転嫁されただけ。

国民 「こんなアホな施策、誰が考えたんだ!」
国 「施策は地方が考えました。」 ←こうやって責任を地方に擦りつけ。

とはいえ、国も「ハコ物」でしかカネを使うことはできないんだから、しかたないけどね。
でも、こんな事に税金を使うんなら、まだハコ物、、、そう、「国の威信にかかわるオリンピック、新国立競技場」にカネ使ったほうが良かったんじゃないかな?

でも、国のスタンスにも理由もある。
生活保護対象者や所得税・住民税が免除されている人に対して、減税したり特別給付金を出しても、経済界は納得しない。だって、ギャンブルや既存の借金返済に使われても、経済界としては意味がないんだから。
それに対して「プレミアム商品券」は、有効期限が定められていて、必ず使用しなければならない。しかもギャンブルには使用できず、地域で必ず消費されるものだから、経済界に直接の利権はないけれども、納得はできる。

個人的には「国民全員に『プレミアム商品券』を均等に行き渡らせる施策にすれば良かったんじゃない?」と思うのだが。
でも、これだとカネが商品券に変わっただけで、「ばら撒き」には変らないか。うーむ。

社会保険への施策をしても、今の医療界は、「治療という」の名の下、やらなくてもいい治療も促すし

これは「穿った見方」ではないと思うんだが。

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子の親に対する評価

  • 保育所は迷惑施設か<上>福岡県古賀市の新設保育所の場合 反対運動で高さ3メートルの防音壁(西日本新聞)(記事削除)

「終の棲家」として静かに暮らせる場所を求めたものの、そこに保育所ができてしまう。
確かにそれは、不幸だとは思うし、それに抗うのは理解できる。でも、やはり違和感を覚えるのだが。。。

自分も子供が生まれて育てているが、この記事にでてくる既に子供を育て終えた男性の意見など見ていると、ちゃんと子育てにかかわってきたのか、疑わしく思う。
ただ、そんな彼らにも理由はきっとあると思う。たとえば仕事が忙しくて、家事・子育てに参加できなかった。とか。家庭環境に難があったとか、子供の成長によって性格の変化、とか。

でも、どうも彼らの場合、「子供」ではなく「子分」として、自分の子供に関わっていたのではないか、と感じてしまう。

実際に、子供の目線や考えを重んじてコミュニケーションをしてきたのだろうか、と。

自分は外で稼ぐ、子育ては妻に任せる、と、一見、効率的な作業分担のように思う。でもこのような家庭・家族は、果たして「家庭」「家族」と呼べるような関係なのだろうか?
段取りや理屈だけで、家庭・家族は成り立たない。それは人間なのだから。

それに子供は、親の接し方に対して、非常に敏感であることを絶対に忘れてはならない。
自分では分からないかも知れないが、子供は親の姿を敏感に把握している。
だって人間関係において、親子ほど距離の近い関係はない。子供は親自身以上に親の行動や性格を把握している。
それは最終的に将来、老後・死後、親自らの力が及ばなくなった段階で、子の親に対する評価が下されることになる。自分に返ってくることになる。

個人的には本当に父親として愛情を注ぐ覚悟がないのであれば、子を作るべきではないと思う。避妊すべき。パートナーともちゃんと話をすべきだと、自分は思う。

そうじゃないと、子供は幸せにならないし、自分自身にも不幸になる。

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「母親も悪い」果たしてそうなのか?

  • マンションに男児遺体、男聴取 1人保護、母親「預けた」(47ニュース)(記事削除)

この一連の事件について、ワイドショーやネット上の意見などを見ていると、「母親が悪い」的な意見が散見されるが、正直とても気分が悪い。

「何ら素性の判らない人に子供を預ける」というのは、母親自身の境遇とか持ち得ていた知識から、そういう解決方法を見出したという、単にそれだけの事。

生活は、子供が出産する前と後では180度変化する。
その変化を、子供が産まれたら、無理矢理受け入れることになるわけで、それだけで親は疲弊するはず。たとえそれを覚悟していても、実際にはその覚悟を容易に上回る困難に遭遇し、否応なく対応する事に迫られる。

そして子育ては母親が行う事が多いとは思うのだが、現在の日本の「核家族化」された世帯においての子育ては、かなり無理がある。
これは、仕事を専業主婦であってもだ。
母親一人だけで新生児の面倒を見る事は、肉体的だけでなく、精神的にも不可能。たとえば目を覚ましている新生児は、抱いていないかぎり、常に泣いているものなのだが、それを横目に洗濯したり、ご飯を作ったり、宅急便の荷物を取る事さえも、かなり躊躇するはず。

しかも、だ。
しかもそれを事前に教えられる事は、ない。
そう、絶対にないのである。

それは教育で教えていないし、社会に出てからも、それを説かれる場はない。
教育の場では、保健や性教育、もうすこし突っ込んだところでも福祉や保育などを教わる程度のはず、受験に必要のない分野の内容なので。
社会では、妊娠した時点で保健所とかに「母子手帳」を貰いに行くと、母親教室などのセミナーや様々な資料を貰ったりするんだけども、「子育てが、どれだけ大変か」「母親だけで子育てすることの困難さ」を説くことは、まずない。
それはそれぞれの家庭で解決すべき問題だからと思っているのか、家庭の状況や子の性格などによって差がありすぎるからなのか、ネガティブな話だから話さないのかは判らないけど。

核家族化を真剣に止めなかった、それにしかも、母親に労働社会への参加と子育ての両方を求めている、今の日本や社会に責任がある。

あと、父親の子育てへの不参加。これが本当に駄目。
核家族である以上、父親が子育てに参加することは、単に「人手」という点だけでなく、母親の精神的な支えとしても絶対に必要なはずなのだが、それがまったく理解できていない父親もいる始末。
男が仕事を理由に子育てへの参加を避ける、断念するのは、非常にリスクを伴っている。

きっとこの母親も、親と一緒に住んでいれば、ちゃんと相談できる先があれば、このような事件に遭遇する可能性は低かったのではないかと思う。

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暴力事象

大津市の中学2年生の自殺問題に端を発した一連のいじめ問題。
未だに収まる傾向は見えない。

この件については教育委員会は「暴力事象」として取り扱う旨を示しているようだが、単なる教育委員会の目眩ましに過ぎない。
実際に「いじめ」も「暴力事象」も、問題解決の糸口さえ見つかっていないのではないかと思う。

まぁ「いじめ」などの問題は、騒動を聞きつけた報道が世間に晒し、それに対して更に直接関係していない人も含めて、どんどん広がっていく傾向がある。
そうやって、本来は当事者や地域・教育機関などで解決すべき問題が肥大化してしまい、最終的に、彼らでは解決できなくなってしまう。

もう一つ大きな問題が「時間の問題」。いじめに関する問題が解決しないのには、実際の当事者が卒業してしまうこと。学校の教師も数年も経たないうちに、転任等でいなくなってしまう。こうやって「時間」が、問題を有耶無耶にしてしまう。

いずれにしても、暴力行為は、個人的には自制ができない人が行う、卑しき行為と思います。
暴力を振いたいという衝動は、生物である以上、ある程度は致し方無いとは思うのですが、それ以前に、我々は人間という自制心、思いやりの心、理性を持った生き物であります。
それが出来ないというのは、やはり人間としての資質に欠けると思うのです。
ましてや 暴力行為で、自らのストレスを発散するとか、満足を得るなんてのは、劣る行為だと思っています。

そして社会はそんなに甘くはない。今のご時世、どこからでも情報は流れていく。
暴力行為を行うような人間は社会から最終的には拒絶される。その先には非道の人生しか用意されていない。
路上で野垂れ死ぬしかないような惨めな人生に、自らを追い込むべきではない。
実感はないかも知れないけれど、実際のところ、それが現代社会の厳しさとして存在する。
よく考えてほしい。

とはいえ、私も立派な人間ではないので、あまり過ぎた事は言えませんが。

いずれにしても、このような現象は、保護者や学校、そして社会がこのような事態を招いた事だと思っています。
当然それぞれに「果たすべき責任」があったと思います。
しかもその「果たすべき責任の重さ」はそれぞれ違うはずであり、そしてそれぞれで「果たされなかった責任」に対して、対価を支払うべきと思っています。

「いじめ」は昔から確かにあります。でもいじめそのものの定義が曖昧です。どこからが「いじめ」でどこまでが「いじめじゃない」のか、「暴力事象」なのか、決まってはいません。
そして、そのような問題に対し、クラスで、保護者間で 、教育機関で、地域社会で話されていない事が、何となくタブー視されていることが、最終的に問題や事件に発展しているのではないのでしょうか。

いじめ問題は予防できる、防ぐことができる問題 です。
でも人間である以上、暴力行為やいじめ問題は、必ず発生する問題であることを認識すべきであり、問題に発展しないようなするために、人としての教育や躾が必要なのではと思いあます。

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ダム

  • 橋下知事、住民に陳謝 槙尾川ダム建設中止(産経新聞)(閉鎖)

資料を見ていないので妥当性を判断できないけど、政策転換によって着工中の工事を中断する場合、その補填策で元々以上の費用がかかるなら、無駄であっても地元の感情を重視して進めてしまうほうがよいかと。
それが政治というものですからねぇ。

ダム建設以降の維持を地元にやらせるとか、建設費用を地域課税とか、水道事業とかに増額加算して賄うとか。
沈殿物とかで使い物にならなくなった時点で、再評価してもいいと思う。そして間違た行為だと決まった時点で、当時のダム推進派を一人の残らず戦犯として吊るし上げてもよいのではないかと。

個人的にはダムを建設した場合のリスクのほうが高いと思うし、時間がかかっても、治水施策や山林施策を徹底的にやったほうが、地域経済も自然保護の観点からもよいのではと思う。たとえ水害が何度も起きても、だ。
ダム施策は問題を1世紀単位で持ち越すだけであり、将来の世代にリスクを引き継いでいるだけで、結局はその場しのぎの解決にしかならない。治水事業としては、最低の施策。
それよりは、河川事業や山林事業をしっかりと行うべきかと。

まぁ、両者とも視野が狭いから仕方ないか。。。

「政治の評価は歴史がしてくれる」とは的を得ているとは言えるが、碌でもない施策をした人は歴史から抹消されるだけなんだよなぁ。
これが一番腹立たしいので、碌でもない施策を提唱している人に投票してはいけません。

最終的に苦い思いをするのは「自分」なのだから。

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作業における「独り言」

記事の通りでございます(笑)

おおよそ、携わっている業務に関する事柄についてブツブツと独り言を喋っているだけなので、「脳内を垂れ流している」程度で見て遠い目で見ていただけると助かります。
まぁ口に出さず、脳内でつぶやけばいいのですが、そこは脳内要領が溢れて「漏れてる漏れてる」ってだけなので。

確かに周囲から見れば「キモい」んですが、要するに「癖」なんです。人によっては、「貧乏揺すり」や「ペン回し」したりするでしょ。それと同じ。
口に出したほうが集中できるん人もいるんですよ。

あと、プログラムがちゃんと動かなかったり、「あれ」な仕様とか、携わっている業務に気に入らない事があると「クソ」とか「チッ」とか「…死ねばいいのに」とか、悪態をつぶやくこともあります。
できればそれも聞き流していただけると助かるのですが、周囲のには神経の細い人もいたり、「あれ」な仕様を作った当事者もいることがあるので、なるべく自重します。ゴメンナサイ。

ま、まぁ仕事とは全然関係ない事をつぶやいている訳ではないですから。
逆に全然関係ない事をつぶやいていたら、それは仕事をしていないか、もしくは病気かと。その際は怒るなり、よい心療内科(精神科?)を紹介するなりして、適切な指導が必要です。

そんな私も「独り言派」だったりします。
作業場所がパーティションで区切られていたり、ある程度隔離されていると、「独り言」は発現し、生産性は向上します…向上している、と思います…向上してるという事にしておいてください。。。

ちなみに客先などで作業する際、この「癖」がでると、恥ずかしい思いをすることがあります。
あと、守秘義務などの観点から、喫茶店などで「独り言」は禁物です。

…意外と苦労するのよ? この「癖」は。

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出版不況

出版社・新聞社の倒産件数、2001年の1.5倍Business Media 誠

厳しいっすね。これは。

出版業界というのは、規模の割には薄利であるのは事実で、生き残っている業界も、
記事・原作→雑誌→単行本→メディアミックス展開
という構図に上手く軌道に乗っいるから「ぎりぎり」やっていける程度。

当然、零細や専門内容の出版だと、雑誌収入やメディアミックス展開なんかできないから、すべて単行本に利益を上積みしなくてはならない。そうなると

高額書籍→インターネットで情報収集

という消費者心理に動くのは当たり前。しかも、高額な書籍の内容を欲するのは、往々にして「あまりお金のない人」だったりする。
情報に利益を確保できない分、情報の流通が加速したという皮肉な結果。

それ以外にも、インターネットに情報が増えたにもかかわらず、情報の品質が大きく低下したのは事実。
出版物であれば、専門家が作っていればその点が担保されるし、情報の水準も確保される。
そして、この点を見極めるための「目」が読者には必要となってくるのではないかと思う。真に必要な情報、正しい情報を獲得するのは益々困難となる。

まぁ、インターネットメディアの加速によって、体力のある出版社はまだしも、専門出版は一溜りもないでしょうな。
それに「生き残った出版社」が正しい出版社とか限らない。利益や利権を貪るだけの出版社かも知れないし、そんな彼らが正しくない情報を流すかもしれない。

でも読者も馬鹿とは限らず、碌でもない出版社は徐々に信頼性を低下させつつある。
今はまだ金ズルで何とか持ちこたえているようだが、読者の信頼を得られない以上、淘汰される日は必ずやってくる。

今はまだ過渡期。いま少し状況推移を見たいと思う。

ちなみに私は「新聞派」。インターネットだけだと自ずと自分に必要な情報を取捨選択しがちだが、新聞には自分に必要のない情報も載っている、そこから新たな知識・興味が生まれる可能性がある。
そう言った点で新聞メディアやテレビのニュース・情報・ドキュメンタリーは必要だと思う。でもバラエティは不要。中には素晴らしい「情報バラエティ」などの番組もあるが、殆どの「情報バラエティ」の場合、「バラエティ」の部分は不要。

逆に「インターネット」は百科事典の代わり。まぁ「質」という点では劣る事も多いが、探す力と取捨選択が上手くできれば、非常に素晴らしい情報源。

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てか、事業にしてる時点でアウトだろ

  • 書籍電子化 自炊代行業者にNO!著作権侵害?(産経新聞)(記事削除)

まぁ、著作者の権利を守るという点において、これはクリアしていないと思う。単にグレーゾーンに突っ込んだだけ。
業者としてはハードルを下げただけで、法律の「穴」を掻い潜っていて、この「脱法」的な根性で事業にするというのが下品。
どうしてもやりたいなら、

  • 自炊の機材と作業場所だけを貸し出して、その代金だけを請求する方式にする。
  • 自炊対象の書籍は客が持ち込む物のみ。

という所まで、ハードル下げるべき。それで利益が上がるかは知らんけど。

テレビ番組を録画して楽しむというのは、個人の範囲で行う。それと同じ範疇であるべき。
この商売が成り立つなら「DVDは店内にあるものを、自由にダビングしてお持ち帰りください」という商売も成り立ってしまう。
まぁ動画ソフトの場合、基本ダビングそのものが困難なので、難しいとは思うけど。

著作権などの権利面からの問題も指摘されてはいるが、クリエイティブ産業、出版産業を壊す、性善説に成り立っている市場原理を破綻にような行為という面から見ても、絶対に認めてはならないと思う。

そもそも、自炊したいなら「個人で機材ぐらい買えよ」って思うんだが。。。

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儲け主義

●「人体の不思議展」を提訴へ「精神的苦痛」(産経新聞)(閉鎖)

まぁ「~実行委員会」みたいな名前で、主催を誤魔化している時点で「後ろめたさ」はあるんだろうな。
所詮「金儲け」が成立しなければ、こんな事はやらんだろうて。
確かに興味をそそる内容ではあるとは思うが、この場合、倫理観のほうが上。

倫理観と戦う気概あるのであれば、表に出てとことん戦えばいいと思う。
それが出来ないのであれば、とっとと潰れてしまえ。

私自身は標本の実物を見た事はないけれども、学生時代に人体標本の写真集を見たことがある。(もちろん研究用目的であって、一般書店には置いていない。)
勿論、医師をはじめとする専門家には必要なものかも知れないが、まぁ正直なところ、ものすごく生々しいし、気分が良いものではない。

「知る権利」を主張する人もいるけど、知らなくてもよい知識や記憶もあるはず。