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コンテンツビジネスと地方タイアップって

正直、バランスが悪いものが多い気がする。
熟れていないというか、素人臭いというか。

見え方からすると、タイアップというよりは、コンテンツビジネス側が地方を食い物にしているように見える。
ギブ&テイクのバランスが悪い。

相乗効果があるかと言うと正直疑問で、どちらかというと、コンテンツが地方に乗り上げている状態?

実際の話、広告代理店とかが地方を盛り上げるためという「謳い文句」で色々と企画を展開してますが、中には詐欺まがいの金の巻上げるだけみたいな業界ゴロも沢山いるし。

タイアップによって誰が儲かるのか?

名のあるクリエイターであれば、自己の宣伝になる。
いわゆる売名効果。後々のビジネスには良いのかも。

既存のアニメやマンガ・ゲームなど、版権を所有するコンテンツであれば、その会社には版権収入がある。一緒に儲かるのは版権を持ってる会社。

広告代理店や業界ゴロは、広告料やマネジメント料という名目で、やっぱりここにもカネが入る。

確かに地方にもカネは落ちるかもしれないが、でもって、地方にとっては、集客効果。。。だけ?
………これって、どれだけの効果とか売上に繋がるの?

本当にこれで儲かるの? 確実に?
どれだけの期間、儲かるの?

地方への儲けは極めて一時的で。何とも「分が悪い」気がしてならないのですが。

まぁ、広告代理業とかマネジメント業というのは、往々にして現地の人たちだけでは知識とかコネとかがなくて何ともならないから、金を払って、有識者にやって貰うという、考え方は理解できる。
でも、いわゆる「おまかせ」という地方の側の姿勢には問題を感じる。

地元を盛り上げるためには、その方向性や姿勢をコンテンツ側に伝える必要があると思うし、コンテンツ側からの無理難題を呑まなくてはならない事態もある。

そしてコンテンツビジネスは、何よりもカネカネカネ。

オタクはカネを出してくれるけれど、カネを払に値するだけのモノやサービスが必要で、それは消費社会の原理と同じ。

つまり、意外とカネと手間がかかる。

「コンテンツ万歳!コンテンツ万歳!」だけでは、もはやオタクの流行に乗っかっているだけ。

まぁ、自己満足なのは、その規模が大小だけで、コンテンツビジネスだけの話ではない。

コンテンツビジネス側(企画側)はド素人が多い

実際のところ、コンテンツタイアップというのは、その売り方や効果的な販売方法が、コンテンツビジネス側も正直よく判っていないことが多い。
だってコンテンツを制作する側は、所詮制作会社であったり、出版社の編集部だったりするわけで、広告代理店や企画会社ではないから。

一発芸

まぁ「カンフル剤」としての効果はあるだろうけど、それがずっと持続するかどうかは正直疑問。

まぁ、「やらない」よりは「やった方がマシ」程度ではないかなぁ、と。

保守的な部分と発展性とのバランス

実際のところ、コンテンツビジネスは一過性のものが大半であり、長い息のものは数少ない。

それに地方は「保守的」であり、土地や地域性にプライドがあるという点。
こういう土地で「表現」の名の下、コンテンツ・企画が暴走してしまい、その結果、トラブル発展するリスクだってある。

発展途上

まぁ、現状では発展途上の分野で、この連携はごく最近に始まった事を考えると、習熟までは少しかかるのかな、と思う。

でも、コンテンツビジネスに携わる者が、地元を食い物にするのだけは、そこはクリエーターの理性やプライドとして、是非やめてもらいたいと思っています。

「ロケフリ」の「成れの果て」

  • テレビ局側敗訴見直しか 最高裁が12月弁論 番組ネット転送訴訟(産経新聞)(記事削除)

確かに著作権法上はグレーな領域。

間接的とはいえ、結果としてコンテンツを見境なくユーザに提供することができるという点において、コンテンツ制作元でもある放送局が黙っている訳にはいかない。
とはいえ、確かにロケフリTVは画期的な製品として発表されたが、法律面だけではなく「業界全体の空気を読む」形でお蔵入りしてしまったのは残念に思う。

そのお蔵入りのトリガーを引いた一つとして、この事業があったのは確か。テレビ局側の敗訴があったからこそ、コンテンツ供給元でもあるソニーは、それを守るうえで、法律で守られない製品は販売できないという結果に至るのは、考えれば分かること。

そりゃ著作権法上は問題ないかもしれないけど、他人のコンテンツを土台にして金儲けをするという発想、しかも法律の規制を遵守するのではなく、脱法的な考え方で金儲けするのにはどうも馴染めない。

でも、権利ビジネスにも疑問がないわけでもない。
テレビという放送ビジネスが成り立たなくなりつつある昨今、権利関係の塊のような放送やコンテンツビジネスは、非常に保守的に動く傾向にある。
だがその行為自身が、自らのビジネスモデルを破綻に向けている事も事実。広告代理店やテレビが発信する流行は、ものすごい勢いで過熱するが、衰退も以前に比べて非常に早い。
そうなると、次の流行を早々に仕掛けなくてはならなくなり、そのためのコストが発生する。しかも世の中は薄利多売。

破綻するかもね。

米国における日本マンガのローカライズ事情

  • Manga へのレクイエム – Sadly, manga will be on the fringe of US market(Books and the City)(閉鎖)

某さんがちょっとした「絡み」で日本の作品をアメリカでローカライズする出版社とお付き合いしたことがあるそうな。

これがスタッフがガンガン変わるんそうで、1年も経たないうちに、辞めたとかで入れ替わったりする。
まぁ某さんとしては、海外展開はあまり考えていない(てか、そこまで手が回らないのと、版権とか人の面倒とかがコストに見合わない)ので、正直なところ「受け身」の対応、なので人が変わる都度、話はリセットされるそうな。
まぁ編集とはいえ、輸入業に近いのと、おそらく思った以上に市場がセマい(もしくは出版業は異様に薄利な)ことに絶望して、辞めていくのかもなぁ、と思ったり。

…今の私には、現時点では全く絡みのない業界の話なので、与太話以上のものではありませんけど。
でも聞いてると、やっぱ微妙な気分になりますね。

きっと会社に採用応募~入社するときは「志」が高いと思うんですよ。
でも、米国はやはり成果主義というか、満足第一というか。
「満たされない」と思ったあとのテンションの駄々下がりっぷりは半端ない。

結構この記事の内容には否定的な意見も多いようですが、公式見解でないにせよ、アメリカの市場のロジックといいますか、指向とはそんなにかけ離れてはいないと思います。

よく誤解されるのですが、日本人は異文化を比較的「心理層」…とでも言うのでしょうか? その深いレベルで受け入れられるというか、染まりやすい(流されやすい)傾向にあるんだと思います。(まぁ、流行対象が「物」とか「人」の場合、冷えるのもマッハですけど。)
しかも、長年の遺伝子なのでしょうか、日本人には異文化万々歳なところもあるし。

それに比べて欧米系、特にアメリカ人は、どちらかというと「そういう文化も、あるよね」的な受け入れ方なんじゃないかな、と思う。
たぶん「基本は自分たちの立ち位置。これを揺るがす事はできない」的な何か。

それと、カルチャーギャップは、日本相互で発生しているものだとも思う。マンガだけでなく、映画や他の分野でもあったりしますし。

たとえば(俺様基準ですが)アメリカのコメディでも、「どつき漫才」とか下ネタ的な物は日本でも笑いを誘うことはできます。
ところが、アメリカンジョークは正直なところ面白くない。
てか、笑いを共感できるツボを見つけるのが、とても難しい。わかりにくい。

これはネイティブヒアリングがもしできたとても、理解できない自身がある。(ちょっとしたハプニングとかで言う「アメリカンジョーク」は別。あれぐらいなら笑えるよと思う、多分。)

それはマンガにおいて日本からアメリカに向かう場合でも起きているとは思う。
だって、日本人の僕ですら「のだめ~」ってどこが面白いのかわからん。
「よくできた作品だな~」とは思うけど、心の琴線にまったく触れない。「これはよい作品だ。ぜひ海外でも発表したい。」って考えたバカは、どこのどいつだ?

ちなみにそんな私は、マンガでも小説でも映画でも、作品は本能で感じる系だと自己分析しています。
面白いというのは、漠然としたところから感じるところから始まり、「なにが面白かったのだろう」とか分析的な事はあんまりしません。てか殆どしない。
音楽も歌詞を吟味するよりかは、リズムとサウンド、そこに声が乗っかって楽しむのが基本。作詞が良ければなお可、というような感じ。

まぁ作品の分析は、学者さんとか評論家・批評家などそっち専門の仕事であり、そういうのが好きな方々にお願いする方向で。
シンポジウムとか議論とかの行為を否定するわけではありませんが、私にとって、それは二の次。一読者としては脳みそが「おもしろい」と思えば、それが評価のすすべてでよいと思いますし、世の中の大半の人はそうだと思うんです。

それともみんな「ドコのナニが面白い」なんて、色々とコムズカシイ事考えて読んでいるひとばかりなの?

…なんか変な事書いたなぁ。
記事の内容を間に受けないでくだされ。

思っていること、感じているは事実だけど、それがちゃんとこの記事で表現されているかは別。
所詮、駄文なんで。