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作品に対してのタブー

日本のライトノベルやマンガは、世界中から見て、とても個性的な表現手法であると思うし、これはある意味前衛的なのかも知れない。
そして、それら表現や作品に触れることができる我々日本人は、大変幸せだと思う。

しかしながらそこで生まれる作品は、必ずしも他国でも受け入れられるかというと、実はそうではない。
それぞれの国・文化・民族・宗教などにおいてはタブーが存在し、それらを扱った日本の作品は時に激しい拒絶や批判をを受けるというリスクを負うこともある。場合によっては表現手法そのものが否定される可能性もあり得るというのは、人間の過去の歴史からも、十分に考えられることである。

もちろん表現の自由は尊重すべきではあると思う。でも、そのほうがおもしろおかしいからと言って、そのほうが読者にうけるからと言って、作品を発表するのは良いことなのかというと、ちょっと考えるところがある。
何も考えずに作品を発表することは、結構リスクであると思ったりもする。

これらに妥協するため、作品に手を加えることべきなのかも知れない。
対抗するための理論武装をすべきかも知れない。

…最近の「たが」が外れっぷりは気になるので、ちょっと書いてました。。。

高校の爆発物事件

  • 光高校の爆発物事件:発生から1カ月 真相見えず、学校に焦り/山口(毎日新聞)(記事削除)
  • 家族の問題(環境、親の躾、接し方)
  • 学校の問題(いじめ、啓発、道徳)
  • 地域の問題(いじめ、住人の繋がり、協力関係)

人間には「理性」というのがあり、それらを育むのは、やはり、家族であり、社会であると思う。
確かに「昔からあった事。短に殺り方が変わっただけ」なのかも知れないが、そんな表面的なところではなく、もっと手前で止める必要があるんだと思うんだけど。

そして、それを実行すべきなのは、家族であり、学校であり、地域だと思います。
今の日本は、この3つが先進化によって、蔑ろにされていると思います。

その結果が、今の社会です。
人間には、発明や発展に様々な可能性があるけど、その前にある「人間性」は何処にいったのでしょうか?

…あんまり、人の事は言えた立場ではないですが、ふと思った今日この頃。