投稿者「かず」のアーカイブ

かず について

東京練馬に生息する、干支も4週目終盤のオッサン。 最近は四十肩?五十肩?に悩まされております。 楽に治せる方法、ダレカオシエテクダサイ。。。

昨今の中国「叩き」

別にトランプ某氏の肩を持つわけではありませんが。

最近というか、以前から情報ネットワーク・半導体・電子機器分野において、中国の「動き」が変なことは、もはや周知の事実。

電子機器に変な(ハッキング可能な)チップを乗せたり、不正アクセスなどを、こんなに頻繁に繰り返している国はとても限られている。

その中でも、突出して多いのは「中国」と「アメリカ」だ。

ただアメリカの場合、ハードウェア分野における不正行為は皆無に等しいが、中国の場合は、半導体といった電子回路にまで不正を盛り込んでくる。

不正アクセスにおいても「アメリカ」からのアクセスは、散発的というか、衝動的というか、チームワークの感触がまったく感じられない。(勿論「例外」はあるとは思うが、その例外行為が、対して一般的な民間起業を狙うことは、ほぼ皆無。)
それに対して中国の場合は、人海戦術というか、とにかくあらゆる手段を講じて、頻繁に攻撃してくる。

中国大陸から直接だけでなく、上海や深圳に籍のある ISP 企業の香港のゲートウェイを使って不正アクセスしてくるとか。

中国政府は定型文的に、不正行為について、常に否定しているし、日本のインターネットサーバは、極めて「ユルユル」なものも多いので、狙いやすいのも確かにあると思う。
国によって技術力や人口の差はあるだろうし、隣国である点も加味したとしても、さすがにこれだけ中国からの不正アクセスの偏りが大きいと、国家が否定するのはさすがに限界があると思う。いくら「アメリカが中国のサーバを使って不正アクセスしてるんだ」と言っても、だ。もしアメリカの所為なら、なぜ中国は、お家芸の人海戦術をもって、中国国内の不正アクセスを調査摘発しないんだ? 彼らの技術力と機動力があれば、簡単な事だと思うのだが。

それに、だ。
昨今の電子機器や情報技術における中国だけへの大きな依存は、安全保障だけでなく、一般的な製造分野においても大きなリスクであることは、今回のコロナ禍で露呈した。

値段や機動力では、たしかに太刀打ちできないかもしれない。だがそこを技術力や、適切な保護施策でカバーしたり、アイデアを絞らないと、経済不況や今回のウイルス禍、(あってほしくはないが)大戦などの有事発生時、地球単位の事象において、常に被害を被ることになるのだが。

「おすすめ」記事のアマゾン商品リンクについて

今まで「おすすめ」記事で紹介したコンテンツについては、Amazon で取り扱われているコンテンツ商品の広告を併せて貼り付けてました。

これは「広告収入」という目的もありますが、「コンテンツパッケージの紹介」の意味もあります

しかしながら、以下の3点が、昨今の状況変化により問題となりました。

PA-API 5.0

Amazon アソシエイトの1サービスと提供されていた「PA-API」がバージョンアップされるとともに、提供サービス基準が変更されました。

これにより「当サイトのような零細コンテンツ」には、PA-APIの利用が困難になりました。

商品リンクするためには、Amazon アソシエイトのサイトに行って当該コンテンツの商品を探し、リンクを生成しコピペするという、とても原始的な作業を行わざるを得なくなってます。
結果的には広告作成する際の過程が、とても面倒になりました。

WordPress バージョンアップ

ブロックエディタで標準的に記事の編集ができるようになったことは、記憶に新しいと思います。これにより、投稿時のストレスは大幅に削減されました。

しかしながら広告作成するためのプラグインが、ブロックエディタでは制限がある等の問題が生じました。

Amazon アソシエイトで商品リンク URL を生成したものを直接ブロックエディタに貼り付けることも可能ですが、現在の WordPress バージョンでは、なぜか Kindle 埋め込みコンテンツといて認識・展開されてしまいます。
これでは、当サイト閲覧者の誤解を招くことになります。

今後の方針

そもそも、コンテンツ紹介の在り方に際して、これら広告を流用する点も(解りやすいのですが)若干の疑問も生じてたのも事実です。

そこで、今回思い切って、当該コンテンツに含まれる広告を今後すべて削除することにしました。

当面の間「おすすめ」記事にあるコンテンツの紹介は、永続的な情報掲載が比較的見込まれる「ウィキペディア」のリンクを原則とします。
ただし一部のゲームコンテンツの場合は、例外的に制作元のコンテンツをリンク掲載したり、コンテンツ公式サイトが存在する場合は、そのサイトをリンクする方向にします。

ちなみに、本当はマンガや小説などの書籍についても、出版社や作者のサイトをリンクしたいのですが、意外と出版社の URL が合併やレーベル再編などによって頻繁に変わることがあったり、閉鎖されることも多いため、断念しました。

よって Amazon 商品リンクについては、今後整理の過程で全面削除します。

ちなみにこれとは別件ですが、Google 社の広告を、今後純粋な「広告」として別途する予定です。

メーリングリストを別サービスに置き換えるための課題

Line や Slack などのサービスを利用する?

そのためにはまず、サービスの「将来性」を見極める必要もあります。
たとえば長期利用可能か、一般的に認知されているか、など。
近い将来にターミネートを迎えるサービスは勿論、無料⇒有料化されてしまうとか、制限が厳しくなるようなサービスはもちろん、サービスが社会的に認知されていること、「知る人ぞ知る」というようなサービスも選択は困難。

あと大きな問題として「費用」。
そして便利なサービスを利用するためには、有料サービスが「壁」となってしまいます。
たとえ月々 500 円でも、100 名だと5万円、年間 60 万かかるようなランニングコストを支払うことになります。

無料サービスだけで運用することも、ある程度は可能かもしれません。
しかしながら、履歴が検索できない点をはじめとする制約が壁になったりします。
無理矢理利用するために、トリッキーな運用をするのも、管理が煩雑になることだってあります。

引き続きメーリングリストサービスを利用する?

急場を凌ぐ意味で、引き続きメーリングリストサービスを利用するのもアリです。
盲目的にメーリングリストを重宝している会社も多くあります。

しかしながら様々なSNSが台頭してきた社会において、メーリングリストは最早レガシーなシステムとして位置づけられています。
実際、Webサービスとしてメジャーなのは、もはや「Google グループ」だけになってしまいました。
無料で提供されているサーバソフトウェアも、メジャーなものは fml など、選択肢が限られてます。

このような選択肢の少なくなりつつある状況を考えると、メーリングリストの将来は暗く、利用できなくなるのも時間の問題かも知れません。

それに、大量のメンバーにメールをばらまくこのシステムは、

  • メールは、すぐに埋もれてしまう。
  • 埋もれないよう、受信者が努力する必要がある。
  • 一度埋もれたメールを探すためには、手間がかかる。

というような感じで、利用者にコストやリスクを負わせてしまいます。
またウイルスやSPAMメールをばらまく機能として使われることもあり、通信業界でも度々問題視され、今後メールフィルタリングの対象となる可能性だってあります。

しかもメールリストによる情報伝達は、情報を受け取る側の意識として、たとえ重要な内容を含んだものであっても「ダイレクトメール」扱いになってしまう傾向があります。
つまり優先順位が低い扱いとなってしまう、「訴求力に欠ける」というのが実状だと思います。

メールでの情報伝達というのは、正直なところ限界にきつつある思っております。
Slack をはじめとした、全く別のSNSサービスを利用するような「前向きな検討」をするほうが、健全な気がします。

広告機能を追加します

現在、当サイトに対し、Google AdSense の導入準備を進めております。
手続き完了後、当サイトは広告が表示されるようになります。

なお、表示される広告は、Google 社の提供するサービスによって表示されます。
当サイトの企図する広告ではありませんので、その点ご了承ねがいます。

ドメイン名を変更しました

今までこのサイトを設置しているプロバイダが提供するドメイン名(station-ax.sumomo.ne.jp)を利用してきましたが、都合により独自ドメイン(station-ax.info)を取得し、そちらへ移転しました。

なお、各記事につきましては、今までと状況は変わりません。

ただし別件として、各記事の内容を整理しておりますので、各記事URLが突然変わったり、内容が変更される場合がございます。その点は、引き続き十分にご注意ねがいます。

コロナ禍の私

日記がてら。

自分はフリーのITエンジニアでして。昨春までは客先常駐の案件をやってたのですが、自宅中心作業に切り替えて、はや1年。そんな中でのコロナ禍。

今春は子供が卒園⇒小1になったりするタイミングでして、バタバタしているところにきて、コロナ騒ぎでカミさんの仕事(イベント業)が吹っ飛んだり。
小学校も入学式だけやって即休校。

そんな非日常を送っております。てか、多分これまだ「非日常」だよな?

そんなわけで、カミさんも自宅ワークにシフトチェンジし、家族3人、自宅にずっといるという状況。
もともと子供は、生まれて3ヶ月ちょいで保育園に入ったので、このタイミングで3人自宅生活がこんなに長く繰り広げられるのには違和感。

でもみんな意外と順応してまして。
たとえば子供は「友達と遊びたいよー(泣)」とか、カミさん家事で毎日ブチギレとかはなく。
まぁ、子供のしつけ的な面でのいプチ衝突は、他の家庭同様に茶飯事。

さらに驚いたのは、緩いとはいえ、計画性を持って生活してること。
子供の小学校の課題とか仕事とか、やることはそれなりにあるものの、もっとダラけた生活になるかなぁと思ってたのですが。
まさか毎日朝会やって、1日の計画たてて過ごす、しかもその生活に慣れるとは思ってもいませんでした。

確かに通学通勤時よりはかなり緩い生活だとは思います。
でも、ちゃんと午前中は学校の課題やドリル、正午を見計らって人のいない近所の公園でボール遊びや運動とかやってる。
親も子供の行動の合間を縫って、上手く仕事を進めていく。

「意外とできるじゃん。」

ちょっとした充実・手応え感があるんですよ。これには驚いた。

まぁ勿論、うちは特殊なのかも知れない。
社会には色々な事情を抱えている家庭もあるだろうし、ポリシーや価値観の異なる人もいる。人それぞれではあると思う。
それに。これから確実に景気が悪くなるので、たとえコロナ禍が過ぎ去っても、みんな元通りに戻るとは思えない。

でもなんというか、もっと仕事の進め方やスタイルに柔軟性・可能性があるような気がした。

確かに仕事場で仕事をすることが必要な業種や作業もあるとは思う。
でも、都会に住んでいる人の何割かは、絶対にその必要のない仕事に従事しているはず。
そんな人達にとって、通勤はあまりにも無駄な移動だったりする。ギスギスした人間関係に疲弊している人だっているはず。

そんな事を、イロイロとダラダラと考えている今日この頃。

AT・CVT車は便利だけど

今回は車の話。初めて話題ですね。

以前は「都会住み=車必要ない」論者だったのですが、郊外に住むとタクシー捕まんなくて不便とか、子供が生まれて郊外店に買い物行くのに不便とかありまして、そこにきてカーシェアが大衆化して便利になった事もあり、一念発起して数年前に免許取ったのですが、予想外にハマってしまいイマココ。

車そのうち買いたいなぁ。今はカーシェアだけどさ。

それはさておき、自分もご多分に漏れず AT/CVT 車に乗ってます。てかカーシェアだと、ガソリン車はほぼ CVT 車しかないし。レンタカー屋でタウンエースとかハイエース借りれば、AT車かな。

まぁカーシェア・レンタカー族にしてみれば、車のメンテは自分の責任ではないので、あまり考えたことがないけれど、最近 YouTube とか、高速とかで自走不能なトラブルとか見てると、ミッション系のトラブルは増えてるような気がしますねぇ。

確かに AT/CVT車とかは便利だけど、万能ではない。
結局、人の手に委ねられてる部分、つまり乗り方やメンテを適当にやってると、壊れるのも早い。

しかも便利になったぶん、壊れるような乗り方をしていても、予兆に気付くことができず、気がついたら高額な修理費がかかるような壊れ方をする。

では、どんな乗り方やメンテをすれば良いのか。

教習所とか取説に記載されている手順で操作する

これが一番の基本です。
皆さんは教習所で習った手順で、パーキングブレーキとかシフトレバーの操作をしてますかね。

よく、シフトレバーを「P」に入れずに、先にパーキングブレーキを入れたりしてませんか。

最新の車や高級車の場合、パーキングブレーキを入れれば勝手にシフトレバーが「P」になったり、内部的に「P」にしてる車もあります

でもこれは、ここ数年の話。それ以前の車や大衆車は、そうではありません。
そういう車の場合、エンジンからの伝達を無理矢理ミッション内で抑え込むような挙動をします。
勿論、車には様々な安全機構や故障を防止するような機構が入ってるので、必ずしも壊れる可能性ではありません。でも正しい操作をすれば、壊れる可能性は更に低くなるのです。

それ以外にも、高速域でいきなり低速域のシフトチェンジをするのも、当然よくありません。
これも勿論、すぐには壊れるような挙動ではありませんが、エンジンだけでなく、ミッションにも一時的に大きな負担かけます。
エンジンブレーキをかける目的で、坂道や適当な速度と回転数の中で、低速シフトに入れるのは、何ら問題はありません。

でも急減速目的で低速域にシフトチェンジすると、かなりの負担になります。

メンテナンス

オイルは燃焼目的のガソリンだけではありません。
車は所詮「機械」「金属」のカタマリです。機械や金属の機構や油圧など、円滑に動かすあらゆる所で「オイル」が使われてます。

つまり、エンジンだってオイル使ってるし、ミッション・ブレーキだってオイルを使ってます。
それを認識されてないというか、想像力の足らないドライバーの多いことに驚く。

そして丁寧に乗らない車は、これらのオイルが汚れます。
もちろん距離に乗じてもオイルは汚れますが、それ以上に丁寧な乗り方をしなければ、このオイルは汚れるのです。それが前項の話に繋がります。

さて、この様々なオイル、点検や交換距離の目安が記されていたりするのですが、これが意外と守られていない。

確かに車検や法定点検のタイミングで確認はするでしょうし、そこで問題が見つかれば必要に応じて交換するのでしょうが、無理を強いる乗り方をされている方は、もっと小まめに点検しないと。
意外とこれをケチる人もいるようで。

あと点検を適当にやる業者もいるので、注意。
たとえディラーであっても、適当な点検やメンテをやるような人は、どこにでもいます。
怪しいなぁと思ったら、別の業者をあたるのが吉。

また、メンテを安く適当に済ませると、あとでイタい出費を重ねる事態もあるので、ちゃんと妥当な金額を払ってやるに越したことはありません。

結論

結局は「人の手」なので、そこをケチるのはよくないですね。

かくしごと(アニメ)

自虐ネタとか業界ネタとか、色々と面白いです。
どこまでホントで、どこからフィクションなのかは判りませんが、まぁ個人的には、全部ホントでいいんではないかと。

てかマンガ業界の作家で生き残ってる人って、特に週刊とかやってた人でマトモなひとなんていな…げふんげふん。

十丸院みたいな担当編集も、多分いますよ、多分。
(似たような人は、社会によくいるので、出版業界にもいるでしょ。)

自分自身はマンガ業界とか出版業界の人ではないのですが、隣近所で業界に絡んでるもんで。そういった立ち位置だと、このアニメは面白い。

今度マンガ買おうかなそうしよう。

「IT技術屋」として駄目だろ

いや、自戒なんですが。

フリーになってから、わりと客先常駐の長期案件に携わってたり、あと子育てとかもあってですね、自分のブログページを放置してたんですよね。

そしたら、ブログの内容もデザインも陳腐化しちゃいまして、明らかに見劣りしてしまいまして。

今は子育てとか、長期の客先常駐に違和感も感じてしまい、ライフスタイルも変えている真っ最中。
このまま、ブログをさらに放置するのも「技術者として良くないよなぁ」と思った次第。

でもブログサイトは、世間的にも最近は流行ってないし、個人的には「業務紹介や案件募集するだけの、ポートフォリオ的な位置づけでいいかな」「この先も面倒を見る機会は、そこまでに多くないであろう」と思った。

なので、あまり面倒をかけずに、商用サービスで、このサイトのを設置してるISPが提供している「さくらのブログ」でいいかなと思って、試しに載せ替えてみた。

まぁ正直、あまり期待はしていなかったのと、実際に載せ替えてみたものの、ISPが提供しているブログのテーマとかは、明らかに「ダサい」。
でも必要な要素は揃ってるし、当初の目的は果たせるなぁと思い、本格的にサイトのデータを移設しようかと思った時点で、ふと立ち止まった。

「IT技術屋として、果たしてこれでいいのか?」と。

でもって、更新を放置していた WordPress をアップデートして、テーマを入れ替えてみたところ、気付いてしまった。

「予想外に進化しているではないか」と。

もちろん賛否あるとは思うが、WordPress はもはや単なるブログツールとしての要素だけでなく、CMSとして十分な機能を提供していることに驚いた。

何よりも、数年前のテンプレートは迷走していた感があった公式テンプレートが、ここ数年でかなり洗練されていた。
以前は日本語のようなマルチバイト文字の表示が微妙だったり、コンテンツを引き立てるためには「画像」が必要な要素であった。

そのため、どうしてもカスタマイズが必要になってしまい、これが標準品の利用重視で利用したい私としては、最大のボトルネックだったのだが、その問題は完全に解消されていた。

しかも、この記事をタイプしている時に使っている、新たにダッシュボードに搭載された標準のブロックエディタ。
これが予想以上に使い勝手が良くて。

大廻りになってしまったものの、結局「さくらのブログ」は止めることに。まさか WordPress がここまで進化してるとは思わなかった。。

とはいえ WordPress はクセも多いので、もしかしたら表組みの記事とかは、苦手かもしれない。
ちょっと「見せ方」を考え直す必要があるかも知れない。
でも、ここまで洗練されてきているのであれば、IT技術者として WordPress の提供する技術を思う存分把握する上でも、使うのが妥当だと思う。

でもなー、あーまたサイトの載せ直しかぁ。
ハァ。(ため息)

いわゆる「お受験」を断念した理由

この記事は、色々と表現しにくいので、あえて「です・ます」調にしました。

私の子は0歳から保育園に入園したのですが、その際、登降園ルート上に某有名私立小学校前がありまして。

当時は自分も「この私立に通わせたいなぁ」と漠然と思っていたのですが、そのルートを6年間見続けてきた結果、いわゆる「お受験」は断念しました。
その理由を記事にしてみました。

あくまで一方的で個人的かつ否定的な見解です。
記事上にある校風や入学児童の集め方について、疑問を抱かない方々がいるのも事実だと思いますし、考え方は「人それぞれ」だと思います。
その方々の考え方について、受け容れることはできかねますが、否定はしません。

どこの私立も、こうではないと思います。
でも、わりと「こんな感じ」で人を集めている(特に伝統的な校風をもつ)私立の小学校は多いような気がします。
この点、学校当事者の方々からしてみれば、否定される方もいるとは思いますが、少なくとも私自身には、表面的にみただけでなく、集めた情報や知識を持ってしても、結果的に「そうなっている」「そう見えていまっている」というだけの話です。

小学校の「お受験」は「保護者も含めてお受験」

「お受験」のために私立小学校に向かう保護者の姿

習い事とか面接の練習とか、そう言った話ではなく。

入学説明会、受験当日、合格発表と、それぞれの場面で、スーツ姿の保護者(入学希望のお子様)を眺めてきました。

最初は「そんなもんかなぁ」と漠然に思っていただけなのだが、その光景を6年間の間、何度か見てきて「違和感」を感じたのです。

そう「あ、この学校は、そういう人達を集める学校なんだ」と。

重要なのは「親の面接」

その中で出てくるのは、親も含めた「面接」です。
子供の勉強よりも、むしろこの「面接」のほうを重要視していると見てよいのではないかと。

子供は「できて当たり前」で判断

おそらく子供の勉強や理解度、成長などの見極めは、小学校の受け容れる側からしてみれば「最低ライン」なんだと思います。
受け容れる子供については、おそらく「できて当たり前」が前提なんです。

もちろん子供の個性や苦手なことがあっても、仕方ありません。それは学校だって尊重するでしょうし、何よりも、これから成長の「伸びしろ」がある子供に対して、高い要求を求めているわけではないのです。

ただし、それはあくまで建前です。現実的には、高い競争率の中に残らなくてはなりません。
そうすると、原理的に「できて当たり前」が前提なってしまうという結論が、最も自然だと思います。
この原理を逸脱していることは、絶対にないと思います。

そう考えると、この時点での「子供の個性」なんて、上記の原理を考えると、極めて些細な話ではないかと。

もちろん成長の過程で「子供の個性や性格」は人間として重要や要素です。
でも原理が優先されているのが現実、それが「お受験」なんです。

そうなると、現実的な「ふるい」のポイントは「親」という事になります。

もちろん親の仕事内容や一般的な考え方は判断材料になるでしょう。そしてこれも「当たり前」のラインです。

そしてここが、ポイントだと思います。

親が小学校の運営を理解し、かつ協力できるか

保護者にも小学校教育に対し支援・協力は求められます。子供のために学校に尽くす必要が「当たり前に」あるのです。

もちろん「寄付」という、金銭的な支援も求められると思います。

それ以外にも、具体的には保護者としての活動が求められると思います。それに協力できますか?

例えば、私立小学校の近隣住民であれば、朝の通学時間帯に駅前や登校ルートに、PTAとして防犯・交通協力の当番を請け負ったり、とか。

学校行事だって、盛り上げるために積極的に親が関わる必要がでてきます。しかも親同士それぞれで尊重しながら

それが可能かを、面接の過程で見極めているのです。

親⇒子への協力・支援

また学校教育についていけるよう、保護者が協力する場面も、公立小学校に通う子供以上に必要になります。

塾に丸投げなんかできません。見栄とかそういう表面的な話ではなく、子供がちゃんと小学校の教育についていけるか、そして進学系の中学校に向けての見極めとして、親も逐一、勉強を観てあげる必要が出てくるはずです。

こんな感じで6年間を過ごしていかなくてはなりません。
その「覚悟」が必要なんです。

「抽選」はブラフ

上記までの試験や面接の課程をクリアした時点で、選考に残った子供は、もはやその中の誰が入学しても、問題ありません。

でも、まだその時点でも定員を超過している状態のため、最後に「抽選」が行われます。

この「抽選」が小学校入学選考の「公正性公平性」をアピールするための最後の「仕上げ」なんです。

だってここで選考で漏れたとしても「抽選で落ちたんだから仕方ない」で済むし、抽選という「公正な判断」に対して、クレームを入れるのは、甚だ難しいです。

選考から漏れた子供や親が全員納得するかは、判りません。
でも、ある程度の人は、これで納得するでしょうし、対外的にも公正に見えるのです。(実際公正なのですし。)

この一連の流れを考え、自分に当てはめて、シミュレーションした結果

なぜか「滑稽」に感じてしまったのです。

真剣かつ一生懸命に「お受験」される方々には不快に感じるかもしれませんが、自分の最も引っ掛かったのは、この「滑稽さ」なんです。

個人的には、この「お受験」に付き合う自信は当時ありました。
でも情報や資料を集めたり、実際の光景を日々見つめてきた結果、いつのまにか、その熱意はどうでもよくなってしまいました。

もちろん、私立は素晴らしいと思う

整った設備と、プロフェッショナルな教員、伝統や積み重ねによって組み立てられたカリキュラムや行事など、それはそれは素晴らしい学校教育が施されるはずです。

でもシミュレーションした結果、そこに「はめ込まれる」自分の子供の姿、そして親である自分の姿が、想像できませんでした。

私立小学校ではなく、公立小学校で学び、時には悩み、そして成長する姿、こちらのほうが遙かに想像しやすいです。

自分はそちらを選ぶ事にしました。
これはただ、それだけの話なのかも知れません。

【余談】お金はかかります

教育費そのものは恐ろしく高くはないと思います。
教科書代なども文科省基準などがあり、逸脱していないと思います。

でも「学校運営費」という名目の費用が発生します。
場合によっては「寄付金」も求められるでしょう。

それに教材費・旅費・被服費(制服代)、私立ならではの費用がかかると思います。

もしかしたら、これからのIT時代を見据え、ノートパソコン代がかかるかも知れません。