投稿者「かず」のアーカイブ

かず について

東京練馬に生息する、干支も4週目終盤のオッサン。 最近は四十肩?五十肩?に悩まされております。 楽に治せる方法、ダレカオシエテクダサイ。。。

経営者。

●USEN・宇野康秀氏が独白「なぜ私は辞めるのか」(東洋経済)(記事削除)

お、重い。。。

でも、表面に出ないところが、自分と違うところかなぁ。

イラスト1枚いくら?

  • 急募>アメリカンコミック風イラストが書ける方(mixi内の日記記事)(会員ページ)

それで「1点1000円」って、サインペン1本で10分位で書いて1000円なのか?
その先、グロス発注なら別だし、体裁(記事中のワンポイントイラストなのか、ページ単位のイラストなのか)とか、なーんの説明もない。
スポーツ誌の三行広告じゃないんだから、もう少し説明あるだろぅが。

てか1,000円稼いで、どうしろと…って、ガキの小遣い稼ぎならそれでもいいのか。
まぁ単発「だけ」では余りにも安い。

ま、問い合わせてきた人にだけ、ちゃんと説明するシステムなのか?
こんなやり方は、組織としての程度が知れる。

温風国家日本。終戦後に色々部品交換したけど、そろそろ劣化が激しく。送風になるか、壊れるか。

  • 阿久根市長:解職問う住民投票目前 反転攻勢の市長派 市民から戸惑いの声も 鹿児島・阿久根(毎日新聞

まぁ、市長の程度が知れるのはさておき(議会も同程度だし)、こんな市長と市議会のやりとり、市の運営に、当の市民が辟易としているだけだと思うんだが。

こうやって、市民が政治や行政から離れていく、そして「モノ言わない市民」「長い物には巻かれろ」的な潮流は、まさに彼らの「思う壺」なのである。
文句の言わない市民ほど、地方政治家や役人の有り難い事はない。

とはいえ、日本は昔っからそういう文化の国だし、市民は政治に疎いものというのは歴史の積み重ねの結果。

日本の政治や行政システムは欧米を倣ったのだろうけど、「イイトコ取り」しかしてないし、さらに日本人の文化や気風にカスタマイズしたシステム。
それが、今となっては結果的に腐った政治家・役人を排出するシステムとして稼動している。
そして、勘違いしている人とぶつかって、こんな泥仕合に発展する。

まぁ、十把ひとからげにはできないが、今の村の名士みたいな、特定の家柄を中心に輩出されような政治家が中心になって、国を担っているようでは、市民のための政治・行政なんて「で き る わ け が な い」。

例えば、議員の活動を数値的に評価するような構造とか、政治家資格みたいな物を取得して政治家になると、票が少なくても当選できるとか。
北欧方面の国家システムを参考にしてもよいと思う。
まぁそんな感じで、今のシステムを否定して、斬新なテコ入れをしないと、真の「市民のため政治・行政」はできないだろうなぁ。

内側から政治を変えるとか言っている人には多分できないし、そんなの待っているうちに、日本が潰れるな。
ホント、片腹痛い。

日本の国民はどんどん荒んでいくばかり。冗談じゃなく、ね。

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(3月の)ライオンポスター

…沖縄は全然わからん。。。カミさん(沖縄出身)に訳してもらって、ようやく分かったよ。

いやぁ、おもしろいキャンペーンでした。
でも、マニアな方々が一瞬で見つけてオープンされちゃったのは、ちょっと面白味に欠けますが。

最近の流行りなのか?

  • 立てこもり刃物男を逮捕=人質の女性にけがなし-未明に捜査員突入・岩手県警(時事通信

まぁ概ね「あれ」な方々っぽい人の犯行が、たてつづけに起きているだけのような気がするが。
一歩間違えれば人命を関わることも多いし、なによりも物騒。

アメリカのいじめ、歪な社会=現在(或いは将来)の日本

私が小中学生の際に住んでいた場所でも「いじめ」はありました。
田んぼに囲まれた集落で、両親は今もそこに住んでいますが、最近の社会変化のためか、近所の人は段々「知らない人」が増えてきたそうです。

そんな自分が小学生の頃、ある日、私が来年度から中学に進学するという数ヶ月前に事件は起きました。
進学予定先の中学生が自殺したのです。

原因が「いじめ」と結論付けられたのかは記憶が定かではありませんが、確かにその人は「いじめ」に遭っていました。

まぁ、当時の集落には、大半の子供が通っていた「そろばん塾」があったのですが、私が確か小4ぐらいの頃、その日は雪が積もったので、始まるまでの時間中に雪合戦をして遊んでいました。
そのとき、ある上級生達は、その自殺した子を集中して狙っていました。しかも雪玉の真ん中に小石を入れて投げ付けていたのを、今もはっきりと覚えています。

その数年後、彼は自殺しました。

私が進学する直前まで、その中学校はいわゆる「荒れた状態」にあったそうで、進学してからも、上級生にその「残り香」みたいなものを感じた事を覚えています。要するに不良みたいなのがいたんですよね。

そしてそんな私も、中学3年という時期にいじめに遭いかけました。
結局、教室内で大喧嘩して、余波は残ったものの、高卒によって何とか乗り切りました。

まぁ、自らも生意気なところがあったのでしょう。それが発端で彼らに隙を見せてしまったのが事の発端です。
当時の自分の横柄な性格にも原因があったのは事実と省みていますが、いじめの余波というのは、クラスの空気とかを微妙にしてしまい、それでかなり苦しい思いをしました。

そんな思いから逃げるために、高校は地元から少し離れた私立に進学しました。
ここでも自身に余波を受けていたのかも知れません、高校でも人間関係があまり上手くなかった事を記憶しています。
それなりに親しい友人はいたのですが、それ以外の人との交流が一切できなくなっていたのです。

そんな経験から、いじめの要素は何処にでもあります。人間というのは、対極にある人を受け入れたりできない、劣る人を攻撃対象としたりする生き物です。
劣等な物を救わない・虐げるというのは、生き物は総じてそんなものであり、そこから生物の進化があるのでしょう。
でも人間には「理性」というものがあって、それによりお互いが支えあい、進化・発展してきました。
そんな理性を否定する行為の発端が、「いじめ」にはあると思います。

「いじめ」そのものを失くすことは難しいかも知れませんが、理性を育むことはいくらでもできると思うんですよ。
親や教育現場・地域社会では、子供にはぜひその部分を「しっかりと」教えていって欲しい

記事の結論としても「法の裁きは最悪の解決策」とあります。まさにそうだと思います。
少年犯罪において、大人と同様の裁きを施す事は、それ即ち「この子には諭すことはできない」というレッテルを既に貼っていることになります。
まぁ、社会的にそのような風潮になっていくのであれば、それを受け入れていく事になるのかもしれませんが、そこに健全な社会があるとは思えません。

たとえ裁くのであれば、親や教育現場、地域社会も含めて、問題点、場合によっては責任を指摘し、社会に対して疑問点を裁判官自らが投げかけてほしいと思います。

あなたの子供、生徒、近所に住む子供は、この社会の中、強く育てていられていますか?
親として、先生として、地域市民として、子供を守りつつ、強く生きられるように育てていますか?
そして、親として、先生として、地域市民として、子供に正しい事を教えられていますか?

新たな手法といいますか。

  • 動画投稿者を題材にした同人作品の頒布について。(あすけの)(閉鎖)

原著作者という立場からのナマの声として、とても「的を得ている」と思います。

自分が作った作品に対して、他人から「この作品のグッズ作りたいけど、いいかな?」と言われたら、どう思うかを考えたほうがいい。
中には容認してくれる人もいるとは思う。でもどちらかといえば、違和感を感じる人のほうが多いのではないかと思う。

例えば利益とか、営利性とか考えると、やはり微妙な気分になるはず。
まぁ、長年の信頼関係があるとか、相手も同人をビジネスと割り切っているのであれば話は別かも知れない。
いずれにせよ、その辺りは交友関係や相手の性格を考慮して、話を切り出すしかない。
さらに言うならば、相手に納得のできるようなプランを立てて、話を持ちかけるべきではなかろうか。

逆に言うと、そう言った議論が習熟しないで30年以上も続いているわけで、しかも現代における価値や思考の変化、そして多様化などから、倫理的な「タガ」が外れてきているなぁ、とも思う。
具体的なものを知らないので、言及は避けるが、この手の話は往々にして「単に作りたい」「満足したい」が最初にあって、その足枷となるべき「理性」とか「倫理感」が、どうもうまく働いていないような気がする。
そう言った意味では、もの凄い発展性を秘めているとも言えなくはないが、本能だけ優先の無法化だけは避けて欲しい。
同人は大人になるにして、新たな楽しみ方や遊び方を知ると同時にルールを知り、またさらに新たな楽しみ方や遊び方を得るというスパイラルな流れがあると思う。

そう言った発展的、かつ、将来に明るい方向性に進むのであればよい。
でも、昨今の無知蒙昧な人の多さと、インターネット社会のように、無法で何でもアリな状態になっていくのではと、大きな懸念を抱いている。

都条例案反対声明

今回の都条例案については、反対です。
その理由は以下の通りです。

  • 発案の過程、発案に関わった個人や組織の経歴・性格・背景、発言や議事録などを確認するかぎり、個人や組織の利己のみを追及しているものであります。
  • 表現に対しての正当性・不当性双方からの意見集約や、公正な議論・判断が行われていません。
  • 表現の自由を尊重している憲法や、その他の法令との関連性・適法性に対して、十分な議論がされていません。
  • 昨今のメディアコンテンツ産業は、国を挙げての産業育成すべき産業と位置づけられています。
    条例案はその方針に真っ向から対立するものです。
    そして、この条例が制定されることにより、表現の萎縮、牽いては産業としての萎縮が懸念されるものです。
  • 一度廃案になった条例案で、しかも憲法で保障されている表現の自由についての制限につながりかねない重大な内容です。
    それにもかかわらず、時間がないこと、委員会実績などを理由に、十分な議論、公での議論、賛成反対を交えた公正な議論などが行われてません。
  • 単に性表現を見たくない、見せたくない一部の成人が、性表現の社会的正当性を鑑みず、自らの策略や満足をもってしてのみ制定される条例には、まったく賛成できません。しかも、青少年を育成するための条例にもかかわらず、その名を冠して、このような表現を規制しかねない条例を、姑息に制定するという行為は、日本の国民性に汚点を残すものであります。
    これは表現の自由という権利だけでなく、国民の尊厳をも傷つける行為でもあり、到底認められるべきものではありません。

そもそも「青少年育成条例」は、条例で規制を施す前に、あくまで青少年の育成のため、学校や社会組織、牽いては家庭における親・保護者が、子供のために正しい「しつけ」や「教育」を施すことが大前提であるべきです。
性教育や表現規制に対しても、それぞれの地域社会に応じた内容を検討し、そこで学校や家庭の教育として、正しく教えるべきです。

ところが、それらの努力や啓蒙を怠り、社会の多様化などいった適当な理由を付けて、学校問題や地域社会・家庭での摩擦など、実際の問題から目を逸らすことが常態となっています。

そして、性表現や暴力表現などを代わりの敵として定め、結果、公共の利益や社会の権利を曲解し、都合よく満足を得る、取り締まることができるようにした条例が、果たして青少年のため、都民のため、牽いては社会のためにはなりません。

よって、この条例には断固反対します。

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風呂場の換気扇

修理してもらったんだけども、なんか風量が減った気がする。風呂場の乾きが遅いような…。

音はとても静かになった。以前は「ガッ!ガッ!ガッ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!ガ!…!!!!」って感じで。
そのうち「バキッ!!」とか言いそうな雰囲気、もしくはファンが吹き飛びそうな音してた。

まぁ、止めないで使うんだろうかね?