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震災後の都心。10日後。

備忘録っす。震災から1週間~10日後の都心

【スーパー・コンビニ】
店舗について、店舗は品薄状態。計画停電や節電の影響もあり、時間短縮営業がほとんど。24時間店などは深夜営業休止。
コンビニは24時間営業してるけど、かなり照明を落としてたりするので、暗い。

玉子と牛乳は品薄状態。開店直後に行けば買えるけど、昼までには完売しているレベル。
野菜は、品薄にはなっているものの、葉物を中心とした一部品目のみ。でも値段は総じて高く、安い品目については、すぐに完売状態。
魚類は、野菜に比べれば落着いている。
肉類は、魚類に比べれば落着いている。
生鮮以外の直良品では、カップ麺・パスタ類・缶詰・米は非常に品薄。
食品以外ではトイレットペーパーが品薄。

牛乳:震災の影響(関東の牛乳は東北・北海道方面からの流通が中心のため。でも手に入らない状態は流通が回復すれば、ある程度復活するかと。)、原発の影響
玉子:震災の影響、鳥インフルエンザ(震災とは関係ないけど、千葉で地味に発生。)
野菜:震災の影響(東北方面のハウス物が影響を受けている)。原発の影響
魚類:震災の影響(東北の近海・養殖物(貝・海藻類が中心)は、年単位で厳しい状態。)
肉類:震災の影響(東北産品の一部)、鳥インフルエンザ(震災とは関係ないけど、千葉で地味に発生。)

日配品のうち、パン類は震災1週間が経過し、流通が復旧しつつある系列店もある。
どちらかと言うと「買いだめ心理」の影響で品薄気味な感じ。入荷量自体は比較的潤沢な気がする。

何よりも、節電の影響で、一部オープンケースや一部区画の電気が消灯しているのと、缶詰などの一部エリアはごっそり品物がないので、「何事か」と思うような状態。

【ガソリン】
24時間GSが閉店するレベル。営業している店には長蛇の列。概ね、数千円までの販売とか、上限を設けて給油しているみたい。

震災翌週の平日は、かなりのGSが燃料完売で閉店してたけど、徐々に解消の傾向。

【鉄道】
都心はほぼ動いているが、時間帯によっては大混雑。

間引き運転と計画停電の影響があるので、都区外に住んでいる人の通勤通学は大変。

【池袋】
思ったよりも昼間は人が多い。
とはいえ、夜は早く閉まる店も多いので、若干空く感じ。

…まぁ、流石にこんなに人が多いと、震災が起きているという事を一瞬忘れる。
危機感が薄いというか、何というか。。。

正直「どうか」と思う行為が多すぎる。

意見には個人差があります。

主催へ

現在、主催の皆様は「開催すべきかどうか」を大変悩まれていることと存じます。
心中お察しします。
参加者の安全や社会への配慮など考慮も必要です。
物流などの事情も考慮する必要があります。
そして主催者地震の開催したいという「思い」も大切です。

情報を集めて、よく考えて、判断をしてください。

サークル参加者へ

開催されるかどうかを心配されている方々が多数いると思います。
でも、主催者自身も人間であり、そして皆さんと同じく、大きな衝撃を受けております。

そして個別の問い合わせ等や殺到し、準備もままならず、その判断が今は困難な状態、もしくは正しい判断ができない状態です。
そんな中で、参加者が個別の問い合わせをすると、主催者はもっと混乱してしまいます。その心労は計り知れないものです。
これは、イベントの規模の大小に拘わらずです。

とりあえず現時点では、中止になる事も考えられますが、自分で判断・行動できる範囲で準備をしていきましょう。
例えば、宅配便で搬入を考えていたのであれば、物流が混乱し使用できない事を想定して「手搬入」で可能なレベルで参加できることを考えるなど、自らで判断すべきです。
そして来場についての安全性も、自分で判断しなくてはなりません。

参加できないと自ら判断された場合は、その旨だけを、すみやかに主催者に伝えるべきです。

某掲示板

不安を訴えることに、異論を唱えるつもりはありません。
でも批判を展開するのは、この非常時においてはナンセンスです。

人としての「器の無さ」を知らしめているようなもの。

今、我々がやるべきことは、自分を守る事、社会を守る事、国を守る事、そして苦しんでいる人のために行動する事。

「公序良俗に反する!」とか「このようなご時世に開催するのか?」と言った批判的なご意見は、本当に控えてほしい。
それは、主催者自身が最も身に染みているところであり、最も悩んでいるところなのです。(中には、それを顧みない主催者もいるかもしれませんが。真っ当な主催者であれば、みんな疑心暗鬼になっているはず。)

そして特に身内の関係者には言いたい。
自分の「瑣末な」「責任を意識しない」発言が、どれだけ主催者を苦しめているのかを。

参加者へ

私自身「同人誌即売会は、参加できる参加者がいる限り、それがたとえ1人であっても開催はすべき」だと思っています。
我々が支えているのは、「同人誌即売会というムーブメントの場」である一方、「コミュニケーションの場」であり「自らの存在をアピールする場」であると思います。
それは自らの無事を示すにもつながると思うのです。
主催者が開催するのであれば、それを淡々と受け容れれば良いのではないかと。
そして参加するのであれば、自らの事柄は自らで守り、粛々と参加すればよいと思うし、参加しないのであれば、それで良いと思うのです。

確かに少ない来場者でイベントを開催する事について、「楽しさ」とか「満足感」という結果を得るには疑問を感じます。
でも開催すれば、そこから生まれる「何か」もあると思うのです。

非常時において主催者に「些細な」問い合わせをすることは、主催者に大きな精神的な負担を強いることになります。
参加者の皆さんと精神的な負担はあると思いますが、主催者は、参加者とは比べ物にならない人数を背負って、作業に当たっているのです。
それを蔑ろにすることに、主催者自身、今後の開催を躊躇うほどに、心底がっかりするものだと思います。
非常時において、自分たちを中心に物事を考えるのは、本当に自重していただきたい。察していただきたい。

個人的に思うこと

たかが同人誌即売会「ごとき」で、自分のすべき行動を主催者に聞いて行動しようとするのは、あまりにも自発性・自己性に欠けており、そんな人は同人誌即売会に相応しくないと本当に思う。
単なる「消費者行動を満たしたい」だけなのであれば、同人誌専門書店に行けばよいと思うし、ネットで買えばよいかと。
確かにこのご時世で不安はあるかも知れないが、このような時こそ、自分の行動は自分で判断して行動すべきかと思う。
ここ1週間で、同じ趣味を分かち合う者として、心底「残念」に思う。

「これだからオタクは…」などと言われるような、幻滅させるような行為は、厳に謹んでいただきだい。

続・善意の匿名の第三者

以前つぶやいたか、ブログ記事にしたかは覚えていないが、相変わらず2ちゃんねるに触発された「善意の第三者」からの通報に悩まされている話の続報を聞いた。
わたしの結論としては、複数人から別々のアプローチで相談されたら動くけど、1 人の「匿名の」チクりメールと2ちゃんねる内の記事だけで動くことは、組織の対応としては、あまりにも脆弱な情報源であり、影響のあるような行動は困難という判断。

それに当件については、既に情報を掴んでいたので、当事者と話をしたそうな。
彼らは「浅はかな行動」をした点、批判を受けている点について反省はしているし、それに対する「彼らなり」の対応を行った。
我々も彼らの行動が様々な場面で「浅はか」であることは指摘し、我々の企画に影響しないよう注意を伝えている。

我々としては、余程のトラブルであり、当事者の行動や企画の推進状況に甚だ疑問があれば、企画の中止、撤回、引継ぎも考慮する。
でも今回の企画については、トラブルの元となった件とは内容そのものが異なり、同様のトラブルは発生し難いと考えている。
企画の推進という点においては、若干不満が残る点はある。でもそれはスタッフ内部の企画推進でも起こる事象であり、すでに遅れている企画はあるという点。
それに企画の内容が過去に我々が直接行った企画に似ており、会場・スタッフ内部でも特に異論が出ていない点。
企画内容が既に告知されている点においても、現時点で企画を我々が引き取った場合、企画者当人らの「面子を潰す」ことになってしまい、彼らの信用を更に陥れてしまうことに繋がり、それは我々の本意ではない。
当事者の応対を見る限り、確かに「隙」はあるが、それなりの対応は進められており、彼らの面子を潰してまでの対応を取るには、あまりにも大人気ない。

それに対して、通報者は1人。しかも情報ソースは2ちゃんねる。しかも匿名。
彼らの行動によって直接迷惑を被ったのかも知れないが、そうであっても被害者は当事者に直接苦情を言うのが常套手段なはず。

それを「あの人はあんなトラブルを起こした人だから、企画をさせるな」と匿名で告げ口するなんて。
たとえ遠まわしな内容であっても、人の品格を疑う。
しかも先に送られてきたメールには「会場に連絡する」とか書いてるし、脅迫・強要に値する。
督促などのTPOを弁えていない。

メールの内容を見ても、明らかに「自身が受け容れられない人を排除するタイプ」であり、他人のミスを許せないタイプ。
そんな顔の見えない、自身の主張を繰り返す匿名の1人と、ミスは起こすけど、真摯に行動して顔の見える人であれば、現時点ではまだ後者のほうが信頼に値する。

自分が嫌だから、他人の行動を受け容れられない人は、それらに参加すべきではないと思う。
同人誌即売会も然り、2チャンネルに投稿も然り。
受け流すことができない人、割り切れない人は参加してはいけない。トラブルを起こすだけ。心労を増やすだけ。

もちろん企画が失敗することがあるかも知れないし、中止することだって、今後あり得るかも知れない。
でも現状においては、中止するほどのトラブルが我々自身に発生していない。
そもそも企画を広く募集し、推進も任せているのは、スタッフのリソースだけで楽しいイベントを作るのは非常に困難であり負担が大きいため。
そこで参加者に協力してもらい、みんながより楽しめるイベントを作り上げるられるように考えたシステム。

通報者には理解・容認できないかも知れないが、その点を踏まえても、企画は現状のまま進めていくことになる。

同人誌即売会というムーブメントを支え、共有する者として、失望させてないで欲しい。
これは企画の当事者にも通報者にも伝えたい。

…まぁ匿名の人に回答しても、きっと「失 望 し ま し た。」的なメールが返ってきて後味悪く終わるんだろうなぁ。まったく。
この人のおかげで、とても後味の悪い記念イベントになりそうだ。。。

ダム

  • 橋下知事、住民に陳謝 槙尾川ダム建設中止(産経新聞)(閉鎖)

資料を見ていないので妥当性を判断できないけど、政策転換によって着工中の工事を中断する場合、その補填策で元々以上の費用がかかるなら、無駄であっても地元の感情を重視して進めてしまうほうがよいかと。
それが政治というものですからねぇ。

ダム建設以降の維持を地元にやらせるとか、建設費用を地域課税とか、水道事業とかに増額加算して賄うとか。
沈殿物とかで使い物にならなくなった時点で、再評価してもいいと思う。そして間違た行為だと決まった時点で、当時のダム推進派を一人の残らず戦犯として吊るし上げてもよいのではないかと。

個人的にはダムを建設した場合のリスクのほうが高いと思うし、時間がかかっても、治水施策や山林施策を徹底的にやったほうが、地域経済も自然保護の観点からもよいのではと思う。たとえ水害が何度も起きても、だ。
ダム施策は問題を1世紀単位で持ち越すだけであり、将来の世代にリスクを引き継いでいるだけで、結局はその場しのぎの解決にしかならない。治水事業としては、最低の施策。
それよりは、河川事業や山林事業をしっかりと行うべきかと。

まぁ、両者とも視野が狭いから仕方ないか。。。

「政治の評価は歴史がしてくれる」とは的を得ているとは言えるが、碌でもない施策をした人は歴史から抹消されるだけなんだよなぁ。
これが一番腹立たしいので、碌でもない施策を提唱している人に投票してはいけません。

最終的に苦い思いをするのは「自分」なのだから。

国民年金基金を考えてみた

国民年金基金試算

国民年金が約79万、国民年金基金が試算した口数掛金で約25万だから、合計105万弱
しかもこれは「年金」なので、月額に直すと9万に満たない。。。

しかしながら、生きていれば80歳超えた辺りで年金のモトは取れるし、途中で死んでも一時金という名目で掛金が一部戻ります。
(ただし、死んだ時期によっては戻らなかったり、満額ではありません。収めたお金がそっくり返ってくるわけでもありません。でも掛金が全額控除されて税制優遇もされてるから、一概に損得勘定できないかと)。

ちなみにサラリーマンの場合「厚生年金」になりますが、福利厚生をちゃんとやっている会社でサラリーマン一筋で働けば、何も考えなくても、それだけで月13万は貰えると思います。
公務員の場合は「共済組合」という事で、厚生年金以上のさらに手厚い年金が貰えます。
(ちなみに厚生年金の場合、法人を「人」と見立てて、年金を課金し、その分を上乗せしているだけ。でも会社にとって、負担の大きい制度。)

この辺りについて不公平を訴える話題がよくありますが、日本の年金福祉システムは、構造上、サラリーマンや公務員、自営業という単位で、そう言った人達ごとに、個別に手厚く保護しようとする、政治家やら官僚などによって、1票という大義名分の下、勝手に構築されてきた物なので、私には不公平そのものを訴える理由がわかりません。
不公平を訴えるべきは、そのようなシステムを作り上げてきた政治家であり官僚であるべきです。
自営業者に対する手厚い年金システム構築を訴えなかった戦後の政治家とか自営業者そのものを恨むべきかと。
まぁ、その辺は別のお話。

話を戻して、自営業の場合。
まぁ、巨匠で印税収入があるとか、地主で家賃収入が入るとか、生涯現役で収入が絶たれる事がないとか、既にひと山儲けて資産があるような方々は別にいいのですが。
私みたいな普通のエンジニアやクリエータ、職人などの自営業者は、死ぬまで今と同じ収入水準の仕事があるとは考えにくいし、仕事ができるとは限りません。老後がかなり心配です。
そうした時に頼る年金が月額9万って、、、。
結婚してれば、二人で何とかスレスレな感じですが、貯蓄がなければ何もできませんなこりゃ。

「生活保護とかあるから生きてゆける」と言う人もいますが、じゃあ「生きているだけの老後」に何の価値があるのでしょうか?
それに、そのような義務を犯してまで年金を払わなかった人の生活保護のために、我々は住民税を納めているわけでもありません。
余裕を作るために、最低限「人に迷惑をかけないため」には、結局のところオカネが必要なんですよ。

そんな感じで「最低限の生活」を確保すべく、年金基金を利用するのは一つの手かな、と思い至ったわけです。
今は個人年金やら民間投資やらの手段もあります。まぁ生活や時間に余裕のある人はいいかも知れませんが、そうでない人や興味のない人にはリスクが大きすぎるかと。

そんなのよりは、税金の優遇があったり、掛金がほぼ満額戻ることを目論んで、堅実に年金基金を積み上げておくほうがいいと思います。
それでも、手元にオカネが残るなら、投資とかすればよいかと。

とはいえ、国民年金基金は国民年金法の下に成り立っているものであり、そして年金にもリスクはあります。
国家財政が破綻したり、経済が破綻すれば、掛金に見合った金額が支給されない可能性があります。
それに、現在の政権には「保険と年金の一体改革」を唱えてる方が一部いらっしゃいます。年金制度が改正されれば、国民年金法の下に成り立っている国民年金基金は影響を受ける可能性があります。
これもリスクです。

ちなみに「国民年金」のほうは国民の義務なので、堅実に支払うべきものであり、払わなければ、老後にビタ一文戻ってきません。
戻す必要もないと思います。それで路頭に迷っても、知ったことではありません。

年金の強制徴収については、私は賛成です。年金が貰えないとか文句言われるぐらいなら、取り立てる位がちょうどよいかと。
もしくは一定資産・収入以下の人には拒否権を付与して「強制徴収は拒否します。将来年金が受け取れなくても一切文句は言いません。」的な文書を貰えば強制徴収を免除するとか。

フリーターの人も、まぁ夢を追いかけたりするのは個人の自由ですが、老後は考えておいたほうがいいですよ?
最近のホームレスとか独り身事情を見てると、オカネのない老後はホント悲惨すぎる。

作業における「独り言」

記事の通りでございます(笑)

おおよそ、携わっている業務に関する事柄についてブツブツと独り言を喋っているだけなので、「脳内を垂れ流している」程度で見て遠い目で見ていただけると助かります。
まぁ口に出さず、脳内でつぶやけばいいのですが、そこは脳内要領が溢れて「漏れてる漏れてる」ってだけなので。

確かに周囲から見れば「キモい」んですが、要するに「癖」なんです。人によっては、「貧乏揺すり」や「ペン回し」したりするでしょ。それと同じ。
口に出したほうが集中できるん人もいるんですよ。

あと、プログラムがちゃんと動かなかったり、「あれ」な仕様とか、携わっている業務に気に入らない事があると「クソ」とか「チッ」とか「…死ねばいいのに」とか、悪態をつぶやくこともあります。
できればそれも聞き流していただけると助かるのですが、周囲のには神経の細い人もいたり、「あれ」な仕様を作った当事者もいることがあるので、なるべく自重します。ゴメンナサイ。

ま、まぁ仕事とは全然関係ない事をつぶやいている訳ではないですから。
逆に全然関係ない事をつぶやいていたら、それは仕事をしていないか、もしくは病気かと。その際は怒るなり、よい心療内科(精神科?)を紹介するなりして、適切な指導が必要です。

そんな私も「独り言派」だったりします。
作業場所がパーティションで区切られていたり、ある程度隔離されていると、「独り言」は発現し、生産性は向上します…向上している、と思います…向上してるという事にしておいてください。。。

ちなみに客先などで作業する際、この「癖」がでると、恥ずかしい思いをすることがあります。
あと、守秘義務などの観点から、喫茶店などで「独り言」は禁物です。

…意外と苦労するのよ? この「癖」は。

出版不況

出版社・新聞社の倒産件数、2001年の1.5倍Business Media 誠

厳しいっすね。これは。

出版業界というのは、規模の割には薄利であるのは事実で、生き残っている業界も、
記事・原作→雑誌→単行本→メディアミックス展開
という構図に上手く軌道に乗っいるから「ぎりぎり」やっていける程度。

当然、零細や専門内容の出版だと、雑誌収入やメディアミックス展開なんかできないから、すべて単行本に利益を上積みしなくてはならない。そうなると

高額書籍→インターネットで情報収集

という消費者心理に動くのは当たり前。しかも、高額な書籍の内容を欲するのは、往々にして「あまりお金のない人」だったりする。
情報に利益を確保できない分、情報の流通が加速したという皮肉な結果。

それ以外にも、インターネットに情報が増えたにもかかわらず、情報の品質が大きく低下したのは事実。
出版物であれば、専門家が作っていればその点が担保されるし、情報の水準も確保される。
そして、この点を見極めるための「目」が読者には必要となってくるのではないかと思う。真に必要な情報、正しい情報を獲得するのは益々困難となる。

まぁ、インターネットメディアの加速によって、体力のある出版社はまだしも、専門出版は一溜りもないでしょうな。
それに「生き残った出版社」が正しい出版社とか限らない。利益や利権を貪るだけの出版社かも知れないし、そんな彼らが正しくない情報を流すかもしれない。

でも読者も馬鹿とは限らず、碌でもない出版社は徐々に信頼性を低下させつつある。
今はまだ金ズルで何とか持ちこたえているようだが、読者の信頼を得られない以上、淘汰される日は必ずやってくる。

今はまだ過渡期。いま少し状況推移を見たいと思う。

ちなみに私は「新聞派」。インターネットだけだと自ずと自分に必要な情報を取捨選択しがちだが、新聞には自分に必要のない情報も載っている、そこから新たな知識・興味が生まれる可能性がある。
そう言った点で新聞メディアやテレビのニュース・情報・ドキュメンタリーは必要だと思う。でもバラエティは不要。中には素晴らしい「情報バラエティ」などの番組もあるが、殆どの「情報バラエティ」の場合、「バラエティ」の部分は不要。

逆に「インターネット」は百科事典の代わり。まぁ「質」という点では劣る事も多いが、探す力と取捨選択が上手くできれば、非常に素晴らしい情報源。

てか、事業にしてる時点でアウトだろ

  • 書籍電子化 自炊代行業者にNO!著作権侵害?(産経新聞)(記事削除)

まぁ、著作者の権利を守るという点において、これはクリアしていないと思う。単にグレーゾーンに突っ込んだだけ。
業者としてはハードルを下げただけで、法律の「穴」を掻い潜っていて、この「脱法」的な根性で事業にするというのが下品。
どうしてもやりたいなら、

  • 自炊の機材と作業場所だけを貸し出して、その代金だけを請求する方式にする。
  • 自炊対象の書籍は客が持ち込む物のみ。

という所まで、ハードル下げるべき。それで利益が上がるかは知らんけど。

テレビ番組を録画して楽しむというのは、個人の範囲で行う。それと同じ範疇であるべき。
この商売が成り立つなら「DVDは店内にあるものを、自由にダビングしてお持ち帰りください」という商売も成り立ってしまう。
まぁ動画ソフトの場合、基本ダビングそのものが困難なので、難しいとは思うけど。

著作権などの権利面からの問題も指摘されてはいるが、クリエイティブ産業、出版産業を壊す、性善説に成り立っている市場原理を破綻にような行為という面から見ても、絶対に認めてはならないと思う。

そもそも、自炊したいなら「個人で機材ぐらい買えよ」って思うんだが。。。

儲け主義

●「人体の不思議展」を提訴へ「精神的苦痛」(産経新聞)(閉鎖)

まぁ「~実行委員会」みたいな名前で、主催を誤魔化している時点で「後ろめたさ」はあるんだろうな。
所詮「金儲け」が成立しなければ、こんな事はやらんだろうて。
確かに興味をそそる内容ではあるとは思うが、この場合、倫理観のほうが上。

倫理観と戦う気概あるのであれば、表に出てとことん戦えばいいと思う。
それが出来ないのであれば、とっとと潰れてしまえ。

私自身は標本の実物を見た事はないけれども、学生時代に人体標本の写真集を見たことがある。(もちろん研究用目的であって、一般書店には置いていない。)
勿論、医師をはじめとする専門家には必要なものかも知れないが、まぁ正直なところ、ものすごく生々しいし、気分が良いものではない。

「知る権利」を主張する人もいるけど、知らなくてもよい知識や記憶もあるはず。

教師の逆襲

●小学教諭が保護者を提訴=「相次ぐ抗議で不眠症」-さいたま地裁支部(時事通信)(閉鎖)

実際、教職員が親のクレームで参ってしまう事は多いらしい。
教職員の休職率は、公務員の業種の中でもダントツなはず。

確かに不祥事を起こす先生も多いが、その10倍以上、不祥事を起こす親がいるはず。

  • 「しつけ」をサボる親。
  • クレームを付ける親。
  • 自分の子を虐げる親。
  • 自分の事を棚に上げる親。

教育は、教師だけの役務ではない。親も教師も社会も協力して、一緒に行うべき事。
特に親と教師の協力、協調なしでは進めない。

それを蔑ろにして、親は先生に文句ばかりを並べ立てる。
「教育」とは何ぞや?

私が子供の頃は、学校だけでなく、子ども会など、親や地域社会も積極的に活動していた。
確かに当時は自分自身「面倒だなぁ」と感じることもあったけど、今となっては「あって良かった」と思っている。
うちの親は普通に共働きだったけども、お互い時間を縫いあって、可能な限り一緒に参加していたた。本当に有り難いことだったと思う。

今の親は、それが出来るのか?
それだけの気概を発揮できるのか?

裁判はこれからではあるが、正直なところ、結果は比較的どうでもいい。
でも、学校現場の実情と親や社会の実情が、法廷という場において真剣に話し合われる必要があると思う。

今更、親本人にも教育が必要なのか? まぁ、そうなんだろうなぁ。

  • 犯罪を犯してはいけません。
  • 犯罪でなくても、人に迷惑をかけてはいけません。
  • 他人と一緒に関わって物事を進める時は、他人と協調性をもって接しましょう。

人として、市民として「当たり前」の事かと。