ブログ」カテゴリーアーカイブ

ダム

  • 橋下知事、住民に陳謝 槙尾川ダム建設中止(産経新聞)(閉鎖)

資料を見ていないので妥当性を判断できないけど、政策転換によって着工中の工事を中断する場合、その補填策で元々以上の費用がかかるなら、無駄であっても地元の感情を重視して進めてしまうほうがよいかと。
それが政治というものですからねぇ。

ダム建設以降の維持を地元にやらせるとか、建設費用を地域課税とか、水道事業とかに増額加算して賄うとか。
沈殿物とかで使い物にならなくなった時点で、再評価してもいいと思う。そして間違た行為だと決まった時点で、当時のダム推進派を一人の残らず戦犯として吊るし上げてもよいのではないかと。

個人的にはダムを建設した場合のリスクのほうが高いと思うし、時間がかかっても、治水施策や山林施策を徹底的にやったほうが、地域経済も自然保護の観点からもよいのではと思う。たとえ水害が何度も起きても、だ。
ダム施策は問題を1世紀単位で持ち越すだけであり、将来の世代にリスクを引き継いでいるだけで、結局はその場しのぎの解決にしかならない。治水事業としては、最低の施策。
それよりは、河川事業や山林事業をしっかりと行うべきかと。

まぁ、両者とも視野が狭いから仕方ないか。。。

「政治の評価は歴史がしてくれる」とは的を得ているとは言えるが、碌でもない施策をした人は歴史から抹消されるだけなんだよなぁ。
これが一番腹立たしいので、碌でもない施策を提唱している人に投票してはいけません。

最終的に苦い思いをするのは「自分」なのだから。

国民年金基金を考えてみた

国民年金基金試算

国民年金が約79万、国民年金基金が試算した口数掛金で約25万だから、合計105万弱
しかもこれは「年金」なので、月額に直すと9万に満たない。。。

しかしながら、生きていれば80歳超えた辺りで年金のモトは取れるし、途中で死んでも一時金という名目で掛金が一部戻ります。
(ただし、死んだ時期によっては戻らなかったり、満額ではありません。収めたお金がそっくり返ってくるわけでもありません。でも掛金が全額控除されて税制優遇もされてるから、一概に損得勘定できないかと)。

ちなみにサラリーマンの場合「厚生年金」になりますが、福利厚生をちゃんとやっている会社でサラリーマン一筋で働けば、何も考えなくても、それだけで月13万は貰えると思います。
公務員の場合は「共済組合」という事で、厚生年金以上のさらに手厚い年金が貰えます。
(ちなみに厚生年金の場合、法人を「人」と見立てて、年金を課金し、その分を上乗せしているだけ。でも会社にとって、負担の大きい制度。)

この辺りについて不公平を訴える話題がよくありますが、日本の年金福祉システムは、構造上、サラリーマンや公務員、自営業という単位で、そう言った人達ごとに、個別に手厚く保護しようとする、政治家やら官僚などによって、1票という大義名分の下、勝手に構築されてきた物なので、私には不公平そのものを訴える理由がわかりません。
不公平を訴えるべきは、そのようなシステムを作り上げてきた政治家であり官僚であるべきです。
自営業者に対する手厚い年金システム構築を訴えなかった戦後の政治家とか自営業者そのものを恨むべきかと。
まぁ、その辺は別のお話。

話を戻して、自営業の場合。
まぁ、巨匠で印税収入があるとか、地主で家賃収入が入るとか、生涯現役で収入が絶たれる事がないとか、既にひと山儲けて資産があるような方々は別にいいのですが。
私みたいな普通のエンジニアやクリエータ、職人などの自営業者は、死ぬまで今と同じ収入水準の仕事があるとは考えにくいし、仕事ができるとは限りません。老後がかなり心配です。
そうした時に頼る年金が月額9万って、、、。
結婚してれば、二人で何とかスレスレな感じですが、貯蓄がなければ何もできませんなこりゃ。

「生活保護とかあるから生きてゆける」と言う人もいますが、じゃあ「生きているだけの老後」に何の価値があるのでしょうか?
それに、そのような義務を犯してまで年金を払わなかった人の生活保護のために、我々は住民税を納めているわけでもありません。
余裕を作るために、最低限「人に迷惑をかけないため」には、結局のところオカネが必要なんですよ。

そんな感じで「最低限の生活」を確保すべく、年金基金を利用するのは一つの手かな、と思い至ったわけです。
今は個人年金やら民間投資やらの手段もあります。まぁ生活や時間に余裕のある人はいいかも知れませんが、そうでない人や興味のない人にはリスクが大きすぎるかと。

そんなのよりは、税金の優遇があったり、掛金がほぼ満額戻ることを目論んで、堅実に年金基金を積み上げておくほうがいいと思います。
それでも、手元にオカネが残るなら、投資とかすればよいかと。

とはいえ、国民年金基金は国民年金法の下に成り立っているものであり、そして年金にもリスクはあります。
国家財政が破綻したり、経済が破綻すれば、掛金に見合った金額が支給されない可能性があります。
それに、現在の政権には「保険と年金の一体改革」を唱えてる方が一部いらっしゃいます。年金制度が改正されれば、国民年金法の下に成り立っている国民年金基金は影響を受ける可能性があります。
これもリスクです。

ちなみに「国民年金」のほうは国民の義務なので、堅実に支払うべきものであり、払わなければ、老後にビタ一文戻ってきません。
戻す必要もないと思います。それで路頭に迷っても、知ったことではありません。

年金の強制徴収については、私は賛成です。年金が貰えないとか文句言われるぐらいなら、取り立てる位がちょうどよいかと。
もしくは一定資産・収入以下の人には拒否権を付与して「強制徴収は拒否します。将来年金が受け取れなくても一切文句は言いません。」的な文書を貰えば強制徴収を免除するとか。

フリーターの人も、まぁ夢を追いかけたりするのは個人の自由ですが、老後は考えておいたほうがいいですよ?
最近のホームレスとか独り身事情を見てると、オカネのない老後はホント悲惨すぎる。

作業における「独り言」

記事の通りでございます(笑)

おおよそ、携わっている業務に関する事柄についてブツブツと独り言を喋っているだけなので、「脳内を垂れ流している」程度で見て遠い目で見ていただけると助かります。
まぁ口に出さず、脳内でつぶやけばいいのですが、そこは脳内要領が溢れて「漏れてる漏れてる」ってだけなので。

確かに周囲から見れば「キモい」んですが、要するに「癖」なんです。人によっては、「貧乏揺すり」や「ペン回し」したりするでしょ。それと同じ。
口に出したほうが集中できるん人もいるんですよ。

あと、プログラムがちゃんと動かなかったり、「あれ」な仕様とか、携わっている業務に気に入らない事があると「クソ」とか「チッ」とか「…死ねばいいのに」とか、悪態をつぶやくこともあります。
できればそれも聞き流していただけると助かるのですが、周囲のには神経の細い人もいたり、「あれ」な仕様を作った当事者もいることがあるので、なるべく自重します。ゴメンナサイ。

ま、まぁ仕事とは全然関係ない事をつぶやいている訳ではないですから。
逆に全然関係ない事をつぶやいていたら、それは仕事をしていないか、もしくは病気かと。その際は怒るなり、よい心療内科(精神科?)を紹介するなりして、適切な指導が必要です。

そんな私も「独り言派」だったりします。
作業場所がパーティションで区切られていたり、ある程度隔離されていると、「独り言」は発現し、生産性は向上します…向上している、と思います…向上してるという事にしておいてください。。。

ちなみに客先などで作業する際、この「癖」がでると、恥ずかしい思いをすることがあります。
あと、守秘義務などの観点から、喫茶店などで「独り言」は禁物です。

…意外と苦労するのよ? この「癖」は。

出版不況

出版社・新聞社の倒産件数、2001年の1.5倍Business Media 誠

厳しいっすね。これは。

出版業界というのは、規模の割には薄利であるのは事実で、生き残っている業界も、
記事・原作→雑誌→単行本→メディアミックス展開
という構図に上手く軌道に乗っいるから「ぎりぎり」やっていける程度。

当然、零細や専門内容の出版だと、雑誌収入やメディアミックス展開なんかできないから、すべて単行本に利益を上積みしなくてはならない。そうなると

高額書籍→インターネットで情報収集

という消費者心理に動くのは当たり前。しかも、高額な書籍の内容を欲するのは、往々にして「あまりお金のない人」だったりする。
情報に利益を確保できない分、情報の流通が加速したという皮肉な結果。

それ以外にも、インターネットに情報が増えたにもかかわらず、情報の品質が大きく低下したのは事実。
出版物であれば、専門家が作っていればその点が担保されるし、情報の水準も確保される。
そして、この点を見極めるための「目」が読者には必要となってくるのではないかと思う。真に必要な情報、正しい情報を獲得するのは益々困難となる。

まぁ、インターネットメディアの加速によって、体力のある出版社はまだしも、専門出版は一溜りもないでしょうな。
それに「生き残った出版社」が正しい出版社とか限らない。利益や利権を貪るだけの出版社かも知れないし、そんな彼らが正しくない情報を流すかもしれない。

でも読者も馬鹿とは限らず、碌でもない出版社は徐々に信頼性を低下させつつある。
今はまだ金ズルで何とか持ちこたえているようだが、読者の信頼を得られない以上、淘汰される日は必ずやってくる。

今はまだ過渡期。いま少し状況推移を見たいと思う。

ちなみに私は「新聞派」。インターネットだけだと自ずと自分に必要な情報を取捨選択しがちだが、新聞には自分に必要のない情報も載っている、そこから新たな知識・興味が生まれる可能性がある。
そう言った点で新聞メディアやテレビのニュース・情報・ドキュメンタリーは必要だと思う。でもバラエティは不要。中には素晴らしい「情報バラエティ」などの番組もあるが、殆どの「情報バラエティ」の場合、「バラエティ」の部分は不要。

逆に「インターネット」は百科事典の代わり。まぁ「質」という点では劣る事も多いが、探す力と取捨選択が上手くできれば、非常に素晴らしい情報源。

てか、事業にしてる時点でアウトだろ

  • 書籍電子化 自炊代行業者にNO!著作権侵害?(産経新聞)(記事削除)

まぁ、著作者の権利を守るという点において、これはクリアしていないと思う。単にグレーゾーンに突っ込んだだけ。
業者としてはハードルを下げただけで、法律の「穴」を掻い潜っていて、この「脱法」的な根性で事業にするというのが下品。
どうしてもやりたいなら、

  • 自炊の機材と作業場所だけを貸し出して、その代金だけを請求する方式にする。
  • 自炊対象の書籍は客が持ち込む物のみ。

という所まで、ハードル下げるべき。それで利益が上がるかは知らんけど。

テレビ番組を録画して楽しむというのは、個人の範囲で行う。それと同じ範疇であるべき。
この商売が成り立つなら「DVDは店内にあるものを、自由にダビングしてお持ち帰りください」という商売も成り立ってしまう。
まぁ動画ソフトの場合、基本ダビングそのものが困難なので、難しいとは思うけど。

著作権などの権利面からの問題も指摘されてはいるが、クリエイティブ産業、出版産業を壊す、性善説に成り立っている市場原理を破綻にような行為という面から見ても、絶対に認めてはならないと思う。

そもそも、自炊したいなら「個人で機材ぐらい買えよ」って思うんだが。。。

儲け主義

●「人体の不思議展」を提訴へ「精神的苦痛」(産経新聞)(閉鎖)

まぁ「~実行委員会」みたいな名前で、主催を誤魔化している時点で「後ろめたさ」はあるんだろうな。
所詮「金儲け」が成立しなければ、こんな事はやらんだろうて。
確かに興味をそそる内容ではあるとは思うが、この場合、倫理観のほうが上。

倫理観と戦う気概あるのであれば、表に出てとことん戦えばいいと思う。
それが出来ないのであれば、とっとと潰れてしまえ。

私自身は標本の実物を見た事はないけれども、学生時代に人体標本の写真集を見たことがある。(もちろん研究用目的であって、一般書店には置いていない。)
勿論、医師をはじめとする専門家には必要なものかも知れないが、まぁ正直なところ、ものすごく生々しいし、気分が良いものではない。

「知る権利」を主張する人もいるけど、知らなくてもよい知識や記憶もあるはず。

教師の逆襲

●小学教諭が保護者を提訴=「相次ぐ抗議で不眠症」-さいたま地裁支部(時事通信)(閉鎖)

実際、教職員が親のクレームで参ってしまう事は多いらしい。
教職員の休職率は、公務員の業種の中でもダントツなはず。

確かに不祥事を起こす先生も多いが、その10倍以上、不祥事を起こす親がいるはず。

  • 「しつけ」をサボる親。
  • クレームを付ける親。
  • 自分の子を虐げる親。
  • 自分の事を棚に上げる親。

教育は、教師だけの役務ではない。親も教師も社会も協力して、一緒に行うべき事。
特に親と教師の協力、協調なしでは進めない。

それを蔑ろにして、親は先生に文句ばかりを並べ立てる。
「教育」とは何ぞや?

私が子供の頃は、学校だけでなく、子ども会など、親や地域社会も積極的に活動していた。
確かに当時は自分自身「面倒だなぁ」と感じることもあったけど、今となっては「あって良かった」と思っている。
うちの親は普通に共働きだったけども、お互い時間を縫いあって、可能な限り一緒に参加していたた。本当に有り難いことだったと思う。

今の親は、それが出来るのか?
それだけの気概を発揮できるのか?

裁判はこれからではあるが、正直なところ、結果は比較的どうでもいい。
でも、学校現場の実情と親や社会の実情が、法廷という場において真剣に話し合われる必要があると思う。

今更、親本人にも教育が必要なのか? まぁ、そうなんだろうなぁ。

  • 犯罪を犯してはいけません。
  • 犯罪でなくても、人に迷惑をかけてはいけません。
  • 他人と一緒に関わって物事を進める時は、他人と協調性をもって接しましょう。

人として、市民として「当たり前」の事かと。

スマホを買って半月経過したので

個人的な感想をば。

劇的に変わったとは言わないが、テレビで取上げている話題に関する情報を、いつも近くにおいているスマホで検索することができるのは、もの凄く便利。
例えば、昨日もテレビのニュースで「野獣派」という単語がでてきたのだが、いまいちピンと来なかったので、スマホで検索。すぐにウィキが引っかかり、そして情報を入手し、知識を補填・理解できるのはとても爽快。
今まではパソコンのある場所まで行って、調べなくてならなかったのだが、そうこうしているうちに忘れたり、興味を失っていた。

ネットブックよりも、より利便性が追求され、検索端末として見事な位置を確保すると思う。

でも個人的な感想として、家で使うのであれば、iPad 的なものが1台あってもいいかなぁと思ったり。
理由として携帯は携帯サイズになってしまう関係上、どうしても小さ過ぎて使いにくい。
屋内なら、もう少し大型のディスプレイのほうがいいかも。

ちなみにデメリットもそれなりにある。

まず操作性。パソコン程とは言わないが、携帯の操作よりはハードルが高い。
電話は掛けにくいし、タッチパネルでの文字入力は、入れ難い。
まぁ、慣れの問題かも知れないけど。少なくともパソコンにソフトをインストールしたり、操作した事がない人は戸惑うと思う。

それに「便利」にするには、必要なアプリを入れたり、設定を変更したりする必要がある。
これができないと、携帯以上の利便性にあやかることができない。

あと、耐久性にも不安が残る。
携帯よりは絶対に故障率は高いと思うし、耐久性も高くはないはず。

余談だが、別の弊害も。
それはラノベの消化冊数が激減した点w

スマホで通勤時間とか暇な時間を潰せてしまう。そのお陰で、積本、特に小説が増える。
電子書籍にすれば良いのかもしれないけど、個人的に小説・コミックスは買って読みたい派。

まぁ週刊誌とかは基本「読み捨て」なので、電子化されればそれで読む。
でも単行本の類は、自らの所有欲の充実と、著者応援のため、ちゃんと買って読みたいと思う。

何よりも最も電子書籍を敬遠しているのは、電子書籍規格の共通性の無さ。別のプラットホームでは読めないとか、期限限定とか、とにかく「手軽さ」に欠ける。
まぁセキュリティ上の問題もあるのだろうが、これが個人的な触手に影響していたり。

たまに「事業者が利用者のコンテンツ記事や内容を査閲するのはおかしい」的な書き込みを見ますが、

結論から言うと、査閲・取捨選択は、サービス運営組織のサービスを利用する以上、主張することは正当な行為だと思います。

事業者側としては「システムを安定的に閲覧者に提供する」という責務があります。
それは、「コンテンツの社会性公共性」という側面と「自社サービスとしての品質とリスク管理」という側面の2つがあり、そののバランスを見て判断します。

もちろん、そのバランスは事業者によってまちまちです。
内容によっては、「黙認」「協力的な対応」をしてくれる事業者も、中にはあると思います。
でも「場所を貸す者」として「余計なトラブルに巻き込まれたくはない」と考えるのは当然の思考です。

例えば、犯罪に触れるコンテンツを掲載され、警察沙汰になった場合、ユーザ本人だけが捕まって済む問題ではありません。
事業者本人も、ログの提出要求されたり、場合によってはサーバが証拠物品として押収される可能性だってあります。
場合によっては「ほう助」の疑いをかけられる可能性だってあります。
そうなった場合、費用や手間、信用は誰も補償してくれません。

利用者だけに内容の妥当性を任せる事は、結果的に利用者にシステムの安定性を委ねることになります。
またサービス利用者が提供する内容の品質、サービス運営組織の意義は失われてしまいます。

保守的な考え方かも知れませんが、事業者のリスク管理を考えると、これは絶対に外せない思考なはずです。
「嫌なら使わなければければいい」というのは、真っ当な論理だと思うんですが。

資本主義を土台とした社会である以上、「店が客を選ぶ」のは、至極当然です。

率直に言おう(余計なお世話につき、注意)

●定期預金の金利を徹底比較! 冬のボーナスの預け先はどこがオトク?(日経トレンディ)(閉鎖)

サラリーマンの方々には悪いが、50万100万の金を「貯金だけで増やす」ことなんか、正直考えないほうがいい。
実際そんなの「どうでもいいよ」って思ってる人は、結構いるんじゃないかな?
こんな低利で年数千円程度の利息なんて、ほんと誤差誤差。

この記事を見て、真剣にどの銀行にすればいいかなんて考える位なら、自分とか家計の無駄遣いを撲滅したほうが、余程建設的だと思う。

とはいえ、老後とか家買うとかの資金なら、ネット定期にして「塩漬け」にしておくのがいいとは思うけど。

フリーとか経理者なら、売上つまり自分の努力で利益上げないと、話にならん。
正直なところ、こんな面倒臭いことしてはいられない。

あ、資金運用したいのであればFXでもなんでもどぞ~。但し自己責任で~。