- 立ち退き拒否で陸の孤島に住む住民、居座り続行中―重慶市(レコードチャイナ)(記事削除)
意地と意地の対決だ。さすが中国。
意地と意地の対決だ。さすが中国。
今年は幸いにしてインフルエンザにならなかったのだが、昨年はまんまと感染し、タミフルのお世話になりました。
幸い異常行動というような行為には至らず、寒気と発汗で布団を駄目にしたぐらいでした。
現状、薬と異常行動の因果関係について、世間ではかなり疑問視する点があり、かなり問題になりつつあります。
ただ、薬の効果自体はかなりあるようなので、(1)医師に病状の発生時期・患者の体質などを正しく伝え、相談し、(2)子供への処方の警戒、(3)患者の容態の看ることができる人の付き添いなど、患者・保護者・医師の間で十分なコンセンサスを取ることと、治療管理体制が維持できるのであれば、私は処方してもよいのではと思っています。
最近思うのは「患者・保護者・医師の間で十分なコミュニケーションを取らないことに問題があるのでは」と思うのです。
昔とは薬の効能も飛躍的に上がっているのにもかかわらず、副作用などのリスクもあることも多いです。
特に風邪を含めた抗ウイルス薬については、リスクが大きいような気がします。
数年前にも過去にも「ジスロマック」という薬で、報道があった事を覚えている方もいらっしゃると思います。
実際、風邪の特効薬であると誤解されていた方も多いようです。
それを回避するためには、医師と患者・保護者でコミュニケーションを取るほかありません。これが最も有効なリスク回避策です。
もちろん、医師は昔よりも薬に対する説明や副作用のリスクについて十分に説明し、患者の理解を得なくてはならないと思います。
ただ、それだけではなく、患者や保護者にも医師との向き合い方、姿勢も大切だと思います。
薬に対する効能だけを気にするのではなく、自身の体質に合うか、副作用のなどのリスクに対して十分に理解し、確認を取る必要があると思います。
昨今の新薬については、劇的な効果を発揮することもありますが、世の中なんでもそんなウマい話ばかりではありません。
ましてや、自分の身体に直接影響しかねない話、慎重になって然るべきだと思います。
ちなみに、私のインフルエンザ判断基準。
こうなったら、とにかく病院に行って鼻に麺棒突っ込んでもらいます。
つまり、インフルエンザの検査キットで判定してもらうという事。1000円前後の自己負担で済むのなら、やってもらうのがよいです。
ついでに、私的予防策。
12年前の私は、ちょうど新卒で入った会社を辞め、数ヶ月経ったくらいの不安定な時期だったと思います。
まだインターネットが普及し始めたばかりなので、事件があったときの情報は、まだテレビや新聞が中心だったと思います。
そんな中、ショッキングなニュースであり、そして東京に住んでいる私としては他人事ではないと思い、報道内容を噛り付くように見ていた気がします。
そして現在。東京の電車に乗って通勤をする毎日。
仕事でも日常生活でも、霞ヶ関を通過する事、時には利用する事もあります。ただ、この出来事を思い出すことは、自分自身でもあまりなくなってきたような気がします。
被害にあわれた方は忘れられないかも知れませんが、人々の心の中から、この事件の「風化」は、着実に進んでいるようです。
彼の論理だと、交通違反をしても死刑にならなければ罰金は払わないということでしょうかね。
そんなのは法治国家として認められるわけがないのと、罰金の場合、払わなければ労務所に収監されてしまうことになります。
でも彼の性格だとそんなのきっと嫌なので、不承不承ながら罰金は払うんだと思います。
彼はその程度の人なんじゃないかなぁ。
ただ今回の場合は、あくまで民事上の「賠償」なので、判決が確定しても本人が払わなければ、強制執行する必要があります。
しかしながら彼は、自身の資産情報を一切公開していないので、強制的な取り立てが事実上不可能。これが彼の姑息なところ。
まぁ「馬鹿馬鹿しい」と一蹴するのは勝手だけど、納得がいかなかろうが、普通の社会生活を営んでいる人が不利益を被っていると主張し、日本の民事訴訟法に則って賠償請求をし、判決が成立しているのであれば、それを守るのは、「法治国家であること」以前に、「人」として、社会で生活している者として、当たり前なのではと思います。
社会を馬鹿にしているんでしょうね。
それに人間として社会に則って生きている以上、法が整備されていなければ何をやっていもいい(この場合「やらくてもいい」という論理かな)なんていうことにはならないと思います。
法律に「人をみだりに殺してはいけない。」とは書いてはいません。刑法199条に「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」としか定められてません。裁判で、過程や事実の確認、当事者の意思や正当性などを客観的に判断して最後に法に照らし合わせて、結論を導き出すのです。
「払う」のに対して納得がいかないのであれば、訴えられた以上、それに対して裁判上で当事者達が追求すべきであって、それを自分で一蹴し放棄した以上は、黙認(=どのように捉えられても、私は構いません)と見なされのは当たり前です。そんなのはどこの国(というか社会)でも一緒ではないでしょうか?
それが法治国家である日本社会で生きるという事だと思うのですが、最近はどうも勝手に解釈している方が多いような気がします。本当に危険な考え方だと思います。
私は少なくとも「2ちゃんねる」というものを立ち上げた張本人として、そして「2ちゃんねる」を立ち上げてそれを維持している以上、問題点やリスク、社会的な影響をもっと真剣に考えるべきなのではと思います。
法律は守るべきものだし、守らなければ相応のリスクを背負うのは当たり前だと思います。また、社会のルールは、自らの人生で自ずと学び、守るべき(2ちゃんねる的に言うと「空気を読む」かな)ものであると思います。
彼を含めて、最近の社会に生きている人達は、そこんところどう考えてるんでしょうかねぇ。
航空機事故は、交通事故よりも遭遇率が低いとはよく言われるが、発生した際には大惨事を招く事もあるため、絶対に事故を起こさない姿勢と体制が常に望まれる。
子供の頃の話だが、夏休みに家族で関東に旅行に行くことがあった。父親は渋滞を避けるため、夕方に出発して明昼頃に着くようにしたのだが、今回もその日程。
さらにいつもは東名経由のところ、今回はようやく恵那山トンネルの上り線も貫通し、上下線とも道路整備が終わった中央道を経由して移動することになった。そしてあの事故が起きた。
そう、この日は1985年8月12日、JAL123 便、日航ジャンボ機墜落事故の発生した日。
今でも、NHKのニュースが夜通し乗客名簿を朗読していたのを覚えています。
そんな過去の記憶が頭を過ぎったが、それから20年以上、機体の安全性もさることながら、訓練機器やノウハウの向上によってパイロットの能力なども飛躍的に向上した今の航空業界。
今回は幸いにして負傷者もでていないようで、とりあえずは機長や乗員乗客の冷静な判断と対処の賜物だったと思います。
まぁ、機体が小型だったこと、出なかったのは前輪で、後輪は出ていたこと、エンジンなどのトラブルではなかったことなど、きっとラッキーだったのでしょう。
ところでボンバルディア DHC8 という機体、就航してからも、かなりの回数やトラブルを見舞われているようですが、何が起きているんでしょうかね。徹底した原因究明が待たれます。
ちなみに ANA、JAL 各社の運行状況照会を追ってみました。
胴体着陸した ANA1603 便は、11:08 に「到着済み」として表示されてました。
そのあとに就航した ANA1605 便は、9:43 と表示されているように、先発しトラブルの発生した 1603 便よりも先に着陸させた模様。(高松空港の滑走路自体が何時に閉鎖となったかわからないが、こういう現象も場合によっては発生するようです。)
(些か不謹慎だが)好奇心ついでに JAL の発着案内も覗いてみました。
同型機が多く就航している就航している大阪-松山線を見てみたところ、国土交通省から TCD(耐空性改善通報)の通達が出るまでは就航させていた模様。
ちなみに、中標津でも同系列機がオイル漏れで欠航しています。
個人的にはプロペラ機は乗ったことないので、いつか乗ってみたい思ってはいるのですが、事故があるとちょっとコワくなります。
大辞林によると、「主体性」とは「自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度のあること。」だそうです。
ちなみに「実行力」は、仕事をやるうえでの能力としては当たり前といいますか、仕事を進めていくうちに備わった知識や技術を駆使しながら、初めからの素質だけでなく、日々養われていくべき力だと思います。
「課題発見力」も実行力と同じで、知識や技術を身につけていければ、自ずと備わるものではないかと。
問題となるのが「主体性」。
これだけは、知識や技術だけでは何ともならない。会社に対する自己のモチベーションや責任感から身につけていくもので、たとえば「会社はお金を稼ぐためだけのもの」という感じで割り切られてしまった社員に対して、いきなり「主体性を持て」とか言っても、正直何も伝わりません。
主体性を身に着け、さらにそれを維持させるためには、まず会社側の姿勢と個々の能力を見抜き、それを認めるだけの能力、そして「会社は給料を稼ぐためだけの場ではない魅力的な場である」という事を、潜在的な意識下に植え込ませるのが大切なのではないでしょうか。
…とかいう私も、仕事では色々とあるわけで。。。
何だか書いてると凹むなぁ。
まぁ、合併併合統合を繰り返した企業は、膨大な勢いでデータセンターやサーバ統合が発生するので、その過程に対して人の目が行き届かなくなるのは、仕方ないと思います。現場もシステムの指揮・監視機能は働いているとは思うけど、意外にもというか、現場の人からしてみると「ま、どこもこんなんだよなー」といえるのは、資材・資料の監視については「人のモラル」と「人の知識」で成り立っている事が多いという事実。
まぁ、どこの会社でも個人情報保護とかの啓蒙教育や運用について、導入されていると思いますが、人を信用しないという事を前提とした管理システムを導入しているところは、コストなどの理由で意外にも少ない。
まぁ、そこにビジネスチャンスもあるわけですが。
まぁ、いずれにせよ溶解されでこの世から抹消されているなら、いいんじゃないですかね。
大変なことに。。。
記事中の「レア商品」を思わず「アレ商品」と読んでしまいました。
まさにアレですな、アレ。