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かず について

東京練馬に生息する、干支も4週目終盤のオッサン。 最近は四十肩?五十肩?に悩まされております。 楽に治せる方法、ダレカオシエテクダサイ。。。

24時間戦う男…

まぁ、声色は似ていると言えば似てますが、暑苦しいですなぁ。

フォーマル(礼服)のかりゆしウェア

  • フォーマル(喪服)(かりゆしウェアJP)(閉鎖)

内地では季節はずれなネタかも知れませんが。(沖縄ではまだ半袖の時期ではあります。)

沖縄は、気候的に暑い土地柄、12月でも日焼けすることはあります。
そんな地で生まれた「かりゆしウェア」なわけですが、沖縄では官公庁でも普及しており、クールビズ云々とは関係のない次元でスーツとほぼ同等の位置づけで着ている人が多い。

まぁ、沖縄の大らかな地域性もあるでしょうが、あんなくそ暑い場所でスーツ着るのは、確かに拷問なわけで、そんな中でかりゆしウェアを普及させた方々は、まさしく「ネ申」なわけです。

そんな感じで、クールビスの普及も相まってか、沖縄だけでなく、日本各地で愛用されている方も増えて来ましたが、沖縄では更に「先」に進んでます。

それがフォーマルのかりゆしウェア

…まぁ、喪服です。
喪主や葬儀屋さんなどは、さすがにスーツを着ているそうですが、最近は弔問に訪れる方々の半分(もしかしたらそれ以上?)は、かりゆしフォーマルを着用しているそうです。

私自身、デブな汗かきなので、正直「いいなぁ」思ったり。
だって普通のフォーマルだと、まず1回着用したら、必ずクリーニングに出さなくてはならないし、しかもクリーニングもフォーマルはスーツと違って別料金だし。

ちなみにリンクを貼ったコンテンツでは、半袖しかありませんが、実際現地には長袖も売っているそう。でもまぁ、通常の礼服でも大丈夫な季節であれば、礼服着るんじゃないかな。

あと、礼服を着ていても、別に文句は言われません。まぁ「内地の人だな。」とか思われるかも知れませんが。
でも、逆に「かりゆしフォーマル」で内地の葬儀には出席しない方がよいと思います。
内地でこの服着て葬儀に出る人は、さすがにいません。白い目で見られてしまいます。

あ、そうそう。沖縄で結婚式や披露宴は、普通(一張羅?)の「かりゆしウェア」を着用します。かりゆしウェア不可とか言ったら、まず身内に怒られますな。

「かりゆしウェア」は、大量生産されている開襟シャツみたいに、安い物ばかりではありません。1万円以上するものも結構あったりします。

まぁ、会社を辞めたわけで。

本音としては、この不景気な時期に辞めるのは得策ではないとは思うのですが。

会社の規模(=中小企業)や自前のスキルを磨くことができない環境、会社のビジョンのなさ、給料の安さ(ボーナス連続カット+賃金カット)など、色々な事柄を考えると「このあたりが潮時かなぁ」と思いまして。

まぁ、個人的には独立を見据えたビジョンを持っているので、まずは、それ向けて必要なスキルや人間関係を築いてゆきたいと思ってます。
とはいえ、資金もなしに独立はできないので、当面はフリーでやりながらスキルの充填と、それに併せて資金を蓄えていきたいと思ってます。

…待ってろよ。沖縄。絶対に住んでやる!

まぁ、エロゲソングをよく聴くわけですが

昨今の楽曲、歌唱力のあるシンガーは、エロゲと演歌ジャンルに流れているなぁと思う。

だって最近の芸能界シンガーの楽曲、まったくバリエーションがないわけですよ。そこにあの歌唱力のなさ。まぁエンタテイメントとかビジュアルで、なんとかカバーしているわけですが。

中には、宇多田ヒカルさんや歌唱力ある人もいます。
シンガーソングライターは総じてバリエーションがあります。(まぁ、ソングライターなんだから、当たり前か。)
似たような曲しか歌えなくても、ファンが付いていれば、まぁ人生的には「勝ち」です。(ファンが食わせてくれます。)

そういう人は基本的にテレビ芸能の割合は低い。

そこに同じ共通点がエロゲには実はあって、エロゲのシンガーも基本的にビジュアルの露出が少ないわけですが、「歌唱力」と「楽曲の素直さ」「バリエーション」があると思うんです。

確かに「時代遅れ」的な感のある曲も中にはありますし、よーく聞くと、実は「歌謡曲」だったりもします。
でもそこはそれ、現代の音楽技術(シンセサイザー)で、そんなに古くさくは感じないし。

それらが融合しているからか、なぜか比較的耳に馴染みやすい曲、印象に残りやすい曲が多い。

電車の中で安っぽいイヤホンから漏れ聞こえてくる音楽。
ワンボックスカーから漏れ聞こえてく音楽。
これ見よがしに携帯のスピーカーから垂れ流してる音楽。
これ見よがしにスクバイのスピーカーから垂れ流してる音楽。

なんかビートがショボくね?

注)意見には個人差があります(笑)

ロールスロイスみたいなタクシー

私も御徒町の春日通り沿いを走っているのを、先日見ました
丁度、仕事あがりだったので、是非自宅まで乗って帰りたかったのですが、残念ながら私の歩いている車線とは反対側の車線……。
結局、車通りの多い春日通りをUターンさせるわけにもいかず、敢えなく断念。

でもこれ、実はロールスロイスじゃないそうですね。
光岡自動車の「ガリュー」っていうシリーズだそうで、れっきとした国産車。でもって、光岡自動車は富山にある小さなメーカーで、すべてを受注生産・手作りで製造しているところ。確かに以前テレビで採り上げられていたのを見たことがあるような気がします。

でも、まぁシロウト目には、あんなフロントグリルの形状を見たらロールスロイスだと思うわけで。。。

まぁ、結局ロールスロイスではないんですが、それでも乗ってみたかったよ~

作品に対してのタブー

日本のライトノベルやマンガは、世界中から見て、とても個性的な表現手法であると思うし、これはある意味前衛的なのかも知れない。
そして、それら表現や作品に触れることができる我々日本人は、大変幸せだと思う。

しかしながらそこで生まれる作品は、必ずしも他国でも受け入れられるかというと、実はそうではない。
それぞれの国・文化・民族・宗教などにおいてはタブーが存在し、それらを扱った日本の作品は時に激しい拒絶や批判をを受けるというリスクを負うこともある。場合によっては表現手法そのものが否定される可能性もあり得るというのは、人間の過去の歴史からも、十分に考えられることである。

もちろん表現の自由は尊重すべきではあると思う。でも、そのほうがおもしろおかしいからと言って、そのほうが読者にうけるからと言って、作品を発表するのは良いことなのかというと、ちょっと考えるところがある。
何も考えずに作品を発表することは、結構リスクであると思ったりもする。

これらに妥協するため、作品に手を加えることべきなのかも知れない。
対抗するための理論武装をすべきかも知れない。

…最近の「たが」が外れっぷりは気になるので、ちょっと書いてました。。。